東北地方のとある場所で聞いた死者との婚礼の話

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玄関チャイムを鳴らすと、すぐに男がでてきた。男の顔を見て、私は意外な気がした。男はまだ二十半場を過ぎたあたりの年頃だった。こんな山奥に住んでいるのは、年寄りに違いないと私は思い込んでいたのだ。 「なにか」  大柄な私より頭一つ小さな男は、不思議そうな顔をして私を見た。私は道に迷ったことを伝えた。それは大変でしたね、と男が言う。この辺りは迷いやすいんですよ、と続けた。 「この家があって助かりました」 そう伝えると、男がうっそりと微笑んだ。改めて見ると、男は随分な美男子だった。緩い曲線を描く黒髪が白い肌に、絶妙な陰影を落としている。鼻筋は通り、大きな目の縁取る睫毛は重たかった。 「どちらからいらしたんですか」  僅かな笑みと共に男が訊いた。私はかすかな違和感を覚えた。津軽の山奥であるというのに、男の言葉にはまるで訛りがなかった。 「東京から」 「わざわざこんな所まで」 「はあ、私は駆け出しのライターでして、ネタ探しに来たんです」  へえ、と言って男が顔を明るくした。どんな記事を書かれるんですか、と訊いてくる。社会問題などを、と言いながら、私は少しだけ恥ずかしくなった。当時の私は、まだ本当に駆け出しで、エロ雑誌の捏造記事などを書きながら、なんとか食いつないでいるに過ぎない、エセライターだった。私の羞恥を感じ取ったかのように、男が微笑んだ。 「そういえば」  そうだと思い、私は男にあの寺のことを聞いた。あの息苦しいほどに置かれた婚礼人形の正体を私は知りたかった。ホテルに戻ってインターネットで検索すれば、なにか情報があるのかもしれない。だが、私は地元の人間の口から、情報を得たかった。 「ああ、あの寺に行ったのですか」 「はい。恐山よりも霊場らしいと聞いて」 「どうです、お時間があれば上がっていきませんか」  面白い話を聞かせますよ、と男が誘った。形のいい目が、すっと細められた。私は何か、かすかな不気味さを感じた。玄関先から見る男の家の中は暗く、ひんやりとした空気が流れ出していた。しかし、面白い話と聞いて引き下がるわけにはいかなかった。なんでもいいから記事に出来るネタが欲しい。それが私の正直なところだった。 「いいんですか」 「もちろん」  どうぞ、と言って男が玄関戸を大きく開いた。 「キイさん、お客さんをあげますよ」  男が廊下の奥に向かって声を掛ける。どなたかいらっしゃるのですか、と私は問いかけた。ええもう一人おります、と男が答えた。 「へえ、奥様ですか」 「いえ、男です」  さらりと男は言った。私は返答に窮した。こんな山奥で男二人が暮らしているとは、どういう事だろうか。すぐに浮かんだのは、犯罪者ではないかという疑いだった。どこかでなにかの罪を犯した二人が、警察の目を逃れて青森の山奥に潜伏している。いかにもありそうな話だった。  私は俄然興味を持った。目の前の男が犯罪者であれば、当然危険ではある。だが、それだけにいいネタを拾えるかもしれない。殺されることはないだろうと思いながら、私は男の後に続いた。  通された部屋は、広い縁側のある十畳ほどの和室だった。日に焼けた畳が茶色くなっている。しかし部屋の中にはまるで日が入っておらず、じっとりと暗かった。 「どうぞ、座ってください」  男が座布団を進めてくる。私は腰を下ろした。男がお茶を入れてくれる。それで、と私は切り出した。 「面白い話というのはなんです」 「あの寺に纏わる話です」  私は少しだけガッカリした。寺の正体を知りたいと思っていたにも関わらず、この家で暮らす男達が犯罪者なのではという期待を、膨らませすぎていた。しかし、それを悟られぬように笑いを作り、あの寺はなんなのですかと問いかけた。 「あの寺は死んだ子供を供養する場所です」  回答は実に単純だった。なんだ、と私は思った。地蔵が子供を守る仏であるといった程度の知識は、私にもあった。見透かしたように、男が目を細める。 「婚礼人形は見ましたか」 「はあ、あの結婚装束に身を包んだ人形たちですか」 「そうです。あれは死者の結婚です」  男の唇が美しい笑みの形に歪んだ。 「死んだ子を思う親と言うのは、あの世での幸福も願うものなのでしょう。ああして死者を模した人形に婚礼の儀を行わせることで、親より早く亡くなった子にせめてもの幸せを与えたいと思う……」 「親の愛とは深いものですね」  私は無難なことを口にした。心からの言葉ではなかった。子供のいない私にその気持ちはわからず、むしろ不気味さを感じていた。 「あまり興味がなさそうですね」 「いえ、そんなことは……」 「まあ話したいのはここからです」  ふう、と男がため息をついた。 「あの寺にある婚礼人形は、死者のために作られた人形と死者を結婚させるためのものですが、もし生きている人間と、死者を模した人形を結婚させたらどうなると思いますか?」  男が楽しそうに言う。私は少しだけ面倒な気持ちになった。そんなにオカルトめいた話は記事のネタにならない。仕事に使えないのならば、長話など聞きたくなかった。しかし、家にまで上がり込んで、話に乗らないわけにもいかなかった。 「死者に連れ去られる、なんて話にするとホラーのネタになりそうですね」 「はは、死者にそこまでの力はありませんよ」  男は妙に断定的な言い方をし、死んでいますから、と付け加えた。 「お詳しいんですね」 「こういう土地ですから、自然と詳しくなりました」 「やはり文化として魂が根付いているんですね、青森には」  男がゆっくりと頷く。 「死者が囚われるんですよ」 「どういう意味で」 「もう七十年近くになりますか。この近くの村にひとりの男がおりました。男には恋人がいたのですが、その恋人というのも男でした。今の言葉でいえばゲイだったのです」  私はかすかに混乱した。男の話は唐突だった。しかしこちらの戸惑いを気にすることなく、男が話を続けていく。 「古い時代ですからね。ましてやこんな田舎の村では、男同士の恋など受け入れられない。男の恋人は、男を捨てて、親の決めた相手と一緒になることを選びました。でも男はどうしてもその恋人しか愛せなかった。苦しい恋です」  苦しいと口にしながらも、なぜか男は微笑んでいた。遠い日々を愛でるような、そんな愛しげな顔をしていた。 「でもその恋も終わりを迎えます。戦争がはじまり、男の元恋人も兵隊に取られることになったのです。男は泣きました。当時、村の人間はみな、日本が戦争に勝つと信じていましたが、それでも戦地へ送り出すのは恐ろしいことです。そして出征から半年後に、元恋人の死亡通知が届きました」  まだ男は楽しそうだ。私は先程から感じていた薄気味の悪さが、大きく膨らんでいくのを感じた。春のうららかな昼であるにも関わらず、日に焼けた和室は湿っていた。何年も閉じたままだった部屋のような、黴の臭いを私は嗅いだ。 「自分を捨てて女と一緒になった恋人でも、男には愛しい相手でした。男は泣いて暮らしました。そのうちに戦争が終わり、平和な日々が戻ってきました。しかし、平和で穏やかな日々が続くほど、男は恋人の不在に耐えられなくなった」  そんな時です、と男が言った。婚礼人形の話を聞いたのは、と続ける。私は軽い息苦しさを覚えた。あの寺で感じたものと同じ苦しさだった。 「死者と結ばれる方法がある。私は歓喜しました。とてもうれしかった。これであの人をとらえておける。男はすぐに婚礼人形を用意しました。戦後すぐの物のない時代でしたが、必死になればなにごとも容易いものです。片方に愛しい恋人の顔と名を、もう片方に自分の顔と名を添えて、あの寺に預けました」  男は言葉の中で、私は歓喜したと口にしていた。私はゆっくりと瞬きした。目の前の男は、どうみても二十代だ。なぜそんな昔の話に「私」が登場するのか、よくわからなかった。これは作り話で、男が言い間違えたのだろうか。 「私、ですか」 「失礼しました。気にせずに聞いてください。寺に人形を預けた夜、男の家を訪ねるものがありました。男にはすぐわかりました。愛しいあの人が帰ってきたと……」 「死者がですか」 「はい。帰ってきたのです。私の元に」 「だから、私とは」 「たとえばです。私がその時婚礼人形を奉納した男だとしたら、面白いと思いませんか」 「それは」 「死者と契った私と、その恋人はあの時からずっとここで幸せに暮らしている」  男の目がすっと細くなった。バカバカしいと思いつつ、私は息苦しさに苛まれていた。男の話は、ただの冗談にしては真に迫っていた。答える言葉を探していると、部屋の奥にある襖が大きな音を立てて開いた。 「作り話で客人を困らせるな」  低い声と共に部屋に入ってきたのは、大柄な男だった。整った顔をしている。私はその整い方に、人形を連想した。 「申し訳ない。冗談の好きな男で」 「キイさん、怒らないでください」  キイさんと呼ばれた男がペコリと頭を下げる。私は愛想笑いを返した。私の中の不気味さはどんどん育っていた。「キイさん」に否定されたことで、男の語った物語は真実味を帯びてしまった。  もちろん冗談ですよ、と男が笑う。 「でももし本当の話だとしたら、素敵だとは思いませんか。結ばれなかった二人が、死によってようやく結ばれる」  そうですね、と返しつつ、私は身勝手な話だと思っていた。男は恋人が戻って幸せかもしれないが、相手はどうだろうか。勝手に婚礼を結ばれ、ずっと囚われ続けていることにはならないだろうか。 「最初にお伝えしたでしょう。死者より生きているもののほうがずっと強いと」  男が笑う。空気が湿っている。黴の臭いがする。そろそろ失礼します、と言って私は立ち上がった。 「お気をつけて」  男が言う。私は慌てて部屋を出た。早く日光に当たりたかった。恐怖ではない。ねっとりとした薄気味の悪さが、全身に張り付いていた。車に戻ったところで、私はようやく深呼吸できた。吐く息からあの部屋の黴の臭いがする気がした。  この話はこれだけの話である。特に何と言うことはない。ただ私は時々思い出すのだ。あの男達はまだ囚われているのだろうか、と。
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