東北地方のとある場所で聞いた死者との婚礼の話

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東北地方のとある場所で聞いた死者との婚礼の話

あの寺にたどり着いたのは、ただの偶然だった。 二十年前の当時、私は駆け出しの社会派ライターだった。遅い春がきたばかりの青森を訪れたのも、なにか記事にできるネタがあればと考えてのことだ。しかし、北の果てに私が求めているようなネタはなく、そろそろ東京へ戻るかと思っていた頃に、その寺の話を聞いた。寺に向かったのは、仕事としてではなく、ただの興味からだ。そこへ行けば恐山よりも霊場らしい光景を見られると聞き、なんともなしに訪れたに過ぎない。これといった理由のあるものではなかった。ただの観光だった。 五所川原市街から国道を北へ進み、芦野湖というちいさな湖の近くに寺はあった。小高い丘の上に、賽の河原と書かれた大きな木造の門が立っていた。門をくぐると林が広がっており、その奥に寺があった。 門を入ってすぐのところに、年配の男がひとり立っていた。寺の人間らしく、箒を手に落ち葉を集めている。私は話しかけた。恐山よりも霊場らしいとはどういう事なのか、聞きたかった。男は愛想よく応じてくれた。しかし、津軽弁の訛りがきつく、なにを言っているのかほとんどわからない。私は笑いだけを返し、寺の奥へと進んだ。 本堂に入ると、数えきれないほどの地蔵が奉られていた。どれも色鮮やかな着物を着せられている。すべてを確認したわけではないが、一体一体違う顔をしており、笑っているもの、悲し気な顔をしているもの、なんの表情もないものと、多彩だった。その多様さは、まるで人間のようで、息苦しかった。私は気圧されながら本堂を出た。 本堂の脇にある道に、順路と書かれた簡素な看板が立っていた。芦野湖まで下ることができるようで、道の先に湖のきらめきがあった。林を抉るように作られた道の両端には、やはり多数の地蔵尊があった。そしてプラスチック製の小さな風車が、いくつも立てられている。風車が春風にカラカラとなる音が、足元を浮つかせるように響いていた。私は湖へと続く道を下った。 中ほどまで下りた所に、地蔵尊堂と書かれた建物があった。木の陰にひっそりと建つそれは、どこか湿り気を帯びていた。私は興味を惹かれ、中に入ることにした。 中にはやはり地蔵が奉られていた。しかし、本堂と違うのは、その奥の部屋だった。婚礼衣装に身を包んだ人形たちが、ガラスケースにいれられ数多並んでいる。みっしりという表現が適切であるかわからないが、そうとしか言いようのない密集感があった。人形にはひとつひとつ、名前と住所が手書きで貼られており、それがまた場の異様さを増させていた。 ここはなんなんのだろうと私は思った。しかし、私の他に参拝客はおらず、私は疑問を抱えたまま寺を出た。なにかじっとりと重かった。 道に迷ったのは、その帰りだ。寺から五所川原市への道路は、国道に出てまっすぐ下るだけで単純な筈だった。しかし、私はなぜか山道に入り込み、道を見失った。当時はまだスマートホンではなく、レンタカーに付いていた旧式のナビは、エリア外の表示しかしてくれくなっていた。 山道に民家はなく、私は途方にくれながら車を走らせた。一時間ほど山道を上り下りしただろうか。山間のくぼ地のような場所に、一軒の家を見つけた。私はほっとして、その家を訪ねた。小さな木造の平屋は、随分と年期がたっているらしく、春風に飛んでいきそうだった。
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