2023/09/23

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2023/09/23

ここのところ早起きだ。5時には目が覚める。 土曜で暇なのでOFFの二次創作ゲームの実況でも見ようとYouTubeをつけると、毎度のことながらゲームと漫画のCM。最近のそれらのCMを見ると、なんだか人々はどんどんバカになっていってるんじゃないかと感じてしまう。精神的にお子ちゃまのまま、要領だけはいい人間が量産されてゆく。でもそういう奴はドツボにハマった時にそこから抜け出すことなんてできない。そういう奴らが子供を作ったら、その子は親よりバカになるのだろうか。それとも、親を反面教師として僕たちよりも優れた世代となるのだろうか。 一つ言えるのは、いつまで経っても思春期が終わらない大人がかなり増えているのは間違いない。そして、私もその一人なのだろう。これは同族嫌悪に過ぎないのだ。同じ物を良しとしないとしても。思い出は企業の金儲けへの興味を増幅させ、出るべき居心地の良い場所を幻想として供給し続けることで生まれる小銭を企業はかすめ取り続ける。そういう経済機構が増え続ける。そして、自立も趣味も恋愛も全てが確立できず不完全のまま、自意識だけは強すぎる繊細ちゃんが爆増して誰にとっても居心地の良い場所はいつのまにか消滅するのだろう。一つ言えるのは今は口先さえうまけりゃなんとかなる世界で、大人と子供の境界線ももうあまりはっきりしていない。 ちなみに大人と子供の境界線がはっきりしていない、ということを庵野はエヴァ第一作で描きたかったのではないだろうかと思ってる。つーか、TV版しか見たことねーからそこから先は知らん。AKIRAが描いた大人と子供のボーダーラインを越える、という物語を着想点に作られたこの物語は何もかもがめちゃくちゃに崩壊したバブル崩壊後の平成不況でもてはやされたのもわかる気がする。大人になりたくてもなれなかった人々にとってはある種の救いになったわけだ。大人になるために乗り越えるべき壁は日に日に高くなる一方で、犠牲者たちは放置され続ける構図がエヴァ第一作が作られた頃から続いていると私は確信している。 生きていてよかった、と思えるのは大人だけで、子供のまま歳だけ重ねてしまった人は壁の乗り越え方もわからず苦しみ続けるしかないのだろうか。私も一度だけでいいから、生きていてよかったと思いたい。現実逃避だけの人生にはもううんざりだ。そう思っているのは、私だけではないはずだ。皆、年寄りどもに馬鹿にされながらも、どこかで脱出点を探しているに違いない。 そういうことをDUSKで書きたいと思いつつも、なかなか筆は進んでいない。 朝食を食べて、もうやることがなくなる。DUSKかHEXENのどちらかを書きたいが、いざ作ろうとするとぼんやりとしたストーリーを具現化するのに頭が回らない。 今は資産形成からヒモになる方法までなんでもマニュアルが揃っている時代だが、付随してテンプレートが用意される。なろうのテンプレ生ゴミ小説も、いずれテンプレートなしで物語を形成するための補助用具を使った結果に過ぎないのだろうか。読者を獲得するためまずはテンプレ作品を書き、ファンを得た後本当に自分の書きたいものを書く、ということは考えてみれば何もおかしな話ではない。昔からあることだ。 まあ、オレはそれでもそんなもんに手を出す気にはならないが。 大雨で愛車(DIO 50CC)を転がす気にもなれないので家にこもって読書をする。エドガー・アラン・ポーの短編ホラーを読む。私にとって、ポーとボードレールとウィリアム・バロウズは生涯超えることのできない壁だ。大鴉と赤き死の仮面だけでも読んでみてほしい。これが、19世紀最高峰の暗黒小説と言える。 買ってまだ読んでいなかった上橋菜穂子の守人シリーズも少し読み進める。第二作までは、中学の時に読んだ。バルサは、HEXENの主人公であるスタックの母の一人だ。もう一人の母はブラックラグーンのレヴィ、最近移動都市シリーズのヘスター・ショウが義理の姉あたりの立ち位置になったと思う。 守人を読んで思うのは、やはり主人公はなるべく善人の方がいい、ということだ。HEXENを書いているとスタックだけが、キャラクター性が薄いまま他のキャラクターが際立ってゆく。ライバルキャラクターのフランチェスカの方が評価もいい。圧倒的困難な状況下で善人であり続けること、Undertaleでも使われた手法(の一つ)でもあるが、古典的かつ未来でも通用し続けるであろう。 悪人を主人公にするのは難しい。だから、ブラックラグーンは年々面白く無くなってゆくしヨルムンガンドはココをそこまでたくさん描写しなかった。OFFのバッターは世界の破壊者としての明確な描写を終盤に集約させた。進撃の巨人は何人かを主人公としてみられるように描かれていた。The Darknessは薄味だしPostalはギャグを入れておかないと物語として成立しづらい(あってないようなものだが。一人のきちがいに成り切る作品と考えると)。そう考えると、スタックは中途半端すぎる。エゴに割り振るにしても、結局そこか?となってしまう。 母がサブカル嫌いなので、子供の頃はあまりアニメを見られなかった。コードギアスとDTBとCANNANはいつか見ようと思ったままもう令和の時代になってしまった。そろそろ、見るかとたまに思う。でもあれほど好きだったFF7に冷めてしまったことを考えると、今見ても淡白な感想しか思いつかないだろう。やはり、対象年齢通りに作品を見て、作るのがいいと思う。それができなければ、永遠の現実逃避と自慰行為にしかならない。 年齢相応にやるべきことをしなければならないのだろう。 昼食後、母と電話する。 我々は基本的にはあまりウマが合わない。しかも最近、母は衛生管理者の資格を取ったからと言ってやたらと私にも資格を取るようにまくし立ててくる。勘弁してくれ。 ただでさえ、一度でいいから堅い仕事をしてくれと母、祖母に猛説得されて何年もやっていて馴染みのあった解体の仕事をやめて物流業(営業職)について、今陸送、海運、空輸のことを頭にねじ込んでいるのに資格の勉強なんてかなりきつい。おまけにウチの会社は対人関係に難のあるヤツが多いから疲れも倍増だ。嫌になる。 いつだって、彼女との会話は平行線だ。おれはただ、死ぬまでに自分のしたいことを全てやりおおせればいいのに。やはり、劣悪な環境で育ってしまうと癖のある人間になるというのは本当だ。ウチの両親は母親が崩壊家庭育ち、父親が極貧育ちときている。手柄やなんやらはともかく、二人とも異常に〝安定〟に対して執着している。僕たちはもはや、年金すら当てにできない世代だというのに。 この国に安定なんてものは、もうないんだ。 牛乳が当たった。コーヒーの割材として買っているが、やはりもはやストレートでは飲めなくなってしまった。 ODで亡くなったという動画投稿者のTwitterを見てみた。憐憫というものを一切感じなかった。オレは薬をやる奴は信用しない。合法違法問わず、薬は逃げじゃないからだ。 逃げなら、逃げ切った先で建て直す余地があるが薬は逃げじゃない。ただの、かまってちゃんの自殺の一環でしかないから。 あと薬やってるアピールの酷い奴は大概金持ちの家で育ってるというのもある。
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