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どこに行くわけでもない。
普段は通らないような道を右に曲がったり左に曲がったりしながら、人通りの少ない道路を駆け抜けていく。
私にはこの意味のない時間が一番心が安らぐように思われた。
こんなところに家があっただろうかとか、空き地のここには前何が建っていただろうかとか。こんなボロ家に誰が住んでいるのだろうとか、よく商売が成り立つな、とか――どうでもいい、自分にはなんの関係もないことを考える。
錆にまみれたシャッターの前でのんびりと夕暮れを見つめる老婆がいる。
自転車を引いてとぼとぼと歩く子供がいる。
彼らのうちいくらかは死んだ魂なのだろうか。
霧の期間には、死んだ魂が戻ってくる――曾祖母に聞かされた話がほんとうなら、そういうことだ。
そういう魂を、魚子と呼ぶらしい。
曾祖母は物知りだった。
古い言い伝えを、私によく話してくれた。
彼女によれば、もし町で魚子に出会っても、それが魚子であることに誰も気づかない。私たちは霧によって、生きている人間と魚子の区別がつかなくなるという。
魚子たちは、霧が始まると新井指川から出て違和感なく人々の暮らしに混じり、そして霧とともに川へと帰っていく。
あとになって残るものは何もない。
――嘘?
最初はその話を信じられなかった。でも、曾祖母は死んだ彼女の母や友人を見たと言っていたし、同級生にも、死んだ親戚に会ったという人がいた。
――嘘じゃない。魚子はいるのよ。
さっきのたこ焼き屋のおばちゃんだって、魚子でないとは限らないのだ。今はわからないだけで。
いっそ、私も魚子になってしまえたらいいのに。
死んで、霧の期間だけ人間に戻る、そんな幽霊になってしまいたかった。どんな気分なんだろう?
あるいはもう、死んでしまっているのかもしれない。
目にする人々の誰が生きていて、誰が死んでいるのかもわからないのなら、この霧が出ている間だけ私は死んでいるのかもしれなかった。
先生も。
私は一瞬、考えてはいけないことを考えた気がして、大きく首を振った。
先生は死んでなんかいない。
本当に?
私は自身のその問いに、否定も肯定もできずにいた。
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