二.

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 手書きのメニューから適当なものを選ぶ。  あいよ、と言って店主が引っ込んだあと、私は迷いながら先生に菓子のことを聞くことにした。 「あれか。もう食べてしまったのかい。」 「だめだった?」 「だめではないよ。ただ、少しずつ大切に食べてくれなきゃ。」 「……用心するよ。で、あれは何」  先生は笑って「のど飴さ」と答えた。あんなにもまずくて柔らかいのど飴は初めてだ。 「小河にいるうちに少しずつ舐めておきなさい。小河から出ると、から。だから、予防だよ。外に出てからも忘れずに、ちゃんと食べるんだ。わかったね。」  咳が出る?  そう聞こうとした途端、料理が出てきた。続きを聞いても良かったが、自分でも驚くほどに腹が減っていたようで、私は結局無言で割り箸を割った。  頼んだ豚丼はいかにも美味そうだ。にんにくと甘辛い醤油だれ、それに炭火の香りが食べないうちから鼻腔をつく。先生は鰤の漬け丼だった。  ふたりで頂きますを言う。  夕食には少し遅い時間にもかかわらず、私達の他に二人の客が入っている。 「美味しいかい。」 「うん、」 「それはよかった。」  私はひどい空腹と、少々の気まずさからただ黙々と米やら肉やらを頬張った。先生はその様子をしばらくじっと見ていた。 「きみは本当にお父さんそっくりだ」 「……そう?」 「ああ。こうして食べている姿も、ちょっとばかり無鉄砲がすぎるところも。灯夜(とうや)も……きみのお父さんも、よくこうして夜中にひとりでフラフラ出歩いては、お家の方に心配されていたよ。」  先生の声で父の名をはっきりと聴いたのは初めてかもしれない。そこには懐かしむような優しさと、遠慮のなさがあった。私達生徒には向けられることのない、親しいものにしか向けられない声色だった。  先生と私の父親――洲崎(すざき)灯夜(とうや)は、高校の同級生だった。 「お父さんも、高校生の時は先生とここでご飯食べたの?」 「いや、ここは……灯夜とは、来てないね。高校の坂を下ったところのたこ焼き屋は、たまに行ったよ。今もやってるかな」  今日食べたよ、と答えると、先生は愉快そうに笑った。 「懐かしいな。」  先生のそんな顔を、私は初めて見た気がした。  もう実らないとわかっているはずの恋心が、また揺れ動くのを感じた。それ封じるため、私は箸を口に運び続けた。  それから二人とも、無言で食事をとった。箸と椀のカチカチという音がしばらく続いた。  ふっと、箸の音が途切れる。  先生はまだ丼の中に鰤が二切れ入っていたところで箸を置き、口を拭った。 「この前のことは、すまなかったね、」  不意打ちだった。 「……やめてよ、忘れてたところなんだから」  私はとっさに大嘘をついた。こちらを見る先生の目には、〈何もかもお見通し〉と書いてあった。
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