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あいよ、と言って店主が引っ込んだあと、私は迷いながら先生に菓子のことを聞くことにした。
「あれか。もう食べてしまったのかい。」
「だめだった?」
「だめではないよ。ただ、少しずつ大切に食べてくれなきゃ。」
「……用心するよ。で、あれは何」
先生は笑って「のど飴さ」と答えた。あんなにもまずくて柔らかいのど飴は初めてだ。
「小河にいるうちに少しずつ舐めておきなさい。小河から出ると、必ず咳が出るから。だから、予防だよ。外に出てからも忘れずに、ちゃんと食べるんだ。わかったね。」
咳が出る?
そう聞こうとした途端、料理が出てきた。続きを聞いても良かったが、自分でも驚くほどに腹が減っていたようで、私は結局無言で割り箸を割った。
頼んだ豚丼はいかにも美味そうだ。にんにくと甘辛い醤油だれ、それに炭火の香りが食べないうちから鼻腔をつく。先生は鰤の漬け丼だった。
ふたりで頂きますを言う。
夕食には少し遅い時間にもかかわらず、私達の他に二人の客が入っている。
「美味しいかい。」
「うん、」
「それはよかった。」
私はひどい空腹と、少々の気まずさからただ黙々と米やら肉やらを頬張った。先生はその様子をしばらくじっと見ていた。
「きみは本当にお父さんそっくりだ」
「……そう?」
「ああ。こうして食べている姿も、ちょっとばかり無鉄砲がすぎるところも。灯夜も……きみのお父さんも、よくこうして夜中にひとりでフラフラ出歩いては、お家の方に心配されていたよ。」
先生の声で父の名をはっきりと聴いたのは初めてかもしれない。そこには懐かしむような優しさと、遠慮のなさがあった。私達生徒には向けられることのない、親しいものにしか向けられない声色だった。
先生と私の父親――洲崎灯夜は、高校の同級生だった。
「お父さんも、高校生の時は先生とここでご飯食べたの?」
「いや、ここは……灯夜とは、来てないね。高校の坂を下ったところのたこ焼き屋は、たまに行ったよ。今もやってるかな」
今日食べたよ、と答えると、先生は愉快そうに笑った。
「懐かしいな。」
先生のそんな顔を、私は初めて見た気がした。
もう実らないとわかっているはずの恋心が、また揺れ動くのを感じた。それ封じるため、私は箸を口に運び続けた。
それから二人とも、無言で食事をとった。箸と椀のカチカチという音がしばらく続いた。
ふっと、箸の音が途切れる。
先生はまだ丼の中に鰤が二切れ入っていたところで箸を置き、口を拭った。
「この前のことは、すまなかったね、」
不意打ちだった。
「……やめてよ、忘れてたところなんだから」
私はとっさに大嘘をついた。こちらを見る先生の目には、〈何もかもお見通し〉と書いてあった。
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