二.

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 何が起こっているのか理解するいとまもないまま、あたたかい感触が口元を塞いでいるのを私はただ感じた。  先生の唇は薄く濡れていて、愛飲する煙草の苦味があった。それから先生は易々と私の中へと入ってきた。  初めて味わうその感触に私は息をする方法もわからなかった。身体から次第に力が抜け、代わりにどろどろとした何かが満ちていくのを感じた。私は怖くなり、先生のシャツを強くつかみながら薄く目を開けた。  眼の前に、先生の美しい鼻梁が赤信号に照らされてはっきりと浮かび上がって見えた。あまりの美しさと、内側を舌先でなぞられる感触に、私は小さく声を漏らした。  その声にゆっくりと先生の目が開かれる。私たちはこれまで近づいたことのない場所から互いを見つめ合った。  その瞼を信号の光が赤から青に染め上げたとき、先生は優しく唇を離し、何でもなかったかのようにハンドルを握った。 「今のことは忘れなさい。真木くん。私との恋はかなわない。それでいい。これは。」  先生は遠くを見ながら言った。 「きみは忘れてしまいなさい、」  私にはその言葉がどこにも着地できず彷徨っているように感じられた。忘れるのは私だけではない。霧が晴れれば先生も忘れてしまうはずなのに、  なぜだか、  先生はずっと覚えている、  そんなふうに聞こえた。  車はカーブを抜け、私の家へと近づいていった。私は何も話せなかった。車が揺れるたび、後ろで自転車がガシャンと音を立てた。
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