一.

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「じゃあ、それちょうだい。」  相変わらずの光景だ。先生はいつも手近な道具で色々と済まそうとするし、その割に、ストックしてある茶葉は女子が好むような凝ったフレーバーティーだった。  そういう少々乙女趣味のお茶を、いつも私にご馳走してくれる。  そのお茶を飲むと、いつも気分が安らぎ、どこか頭の中が透明になっていくような心地がした。ぼんやりした記憶から、何かを思い出していくような。  何を?  先生の首に残った赤い跡を見た瞬間、私は首を振った。霧が出ていると、出所の分からない疑問がふと頭をもたげるときがある。そういうときは、気にせずに流してしまうのが良いと昔、曾祖母に教わっていた。 「ビーカーで飲むのはやだよ……」 「大丈夫。ちゃんと職員室から紙コップをくすねてきてあるからね。」 「くすねたんだ……」  先生は引き出しから紙コップを一つ取り出して、温かい紅茶を注いでくれた。自転車で走り回って冷えた頬が、蒸気でじわりと温まった。一口含むと、仄かな甘味と清涼感がすうっと身体中に染み渡っていく。  先生は愛用のステンレスのマグカップで同じように紅茶を飲んでいた。さて、といって先生がまっすぐこちらを向く。 「大学受験は順調かな、真木くん。」 「もうだめ。ぜんぜん。」 「そうなのか。どれくらいまずいんだ、」 「まずいってわけじゃないけど……なんだろうな。ただ焦ってるだけなのかなぁ。受かる気がしないんだよね、」  イスカ先生は私の話を黙ってよく聞いてくれた。  こうして中学を卒業した今でも、会いに行けば必ず話を聞いてくれる。表向きは進路相談で――だが私にとって、それは先生に会うためのにすぎないことを、先生は知っているだろうか。  先生の表情は穏やかで、読めない。 「大丈夫さ、真木くんが頑張って勉強していることは私もよく知っているよ。それに合格して、いい先生になるんだろ。君ならできるよ。自信を持ちなさい」  私は教員を志望していたが、別に教育になにか夢や希望を思っているわけではなかった。  ただ、イスカ先生のようになりたかったのは確かだし、またそうすることで彼に近づけると思ったのも確かだった。  穏やかで、気取ったところのない先生は私にとって理想の大人でもあった。  その憧れのどこからどこまでが純粋な尊敬で、どこからが恋による目隠しなのかはわからない。 「でもさ、もし受かったとして――第一志望に合格したら、しばらく先生に会えなくなるよ、」  私は先生に気づかれないように、少しずつ本題へと近づいていった。
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