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「県外だし、下宿しなきゃだし、ここに帰ってくるのに往復一万五千円だよ。気軽に帰ってこれない。……これまでみたいに、先生とこうして話せなくなる」
先生を見る。先生は相変わらず穏やかな顔で、私の次の言葉を待っていた。
「いっそ、私立単願にしようかな、ここから通えるし。」
「それはよしたほうがいい。第一志望は国立だろう。誰でも通えるわけじゃないところに、手が届いてるんだ。それをむざむざ捨てる必要はないよ。」
「だって、さぁ、先生は淋しくないの。俺に会えなくなるんだよ」
先生の手が止まる。
淋しいと言ってほしかった。
そう言って、私と同じ気持ちであることを示してほしかった。
先生もようやく気がついたようだった。
「先生、」
私の声は震えていた。身体中に巣食う怯えを振り払いながら、なけなしの力で声を振り絞る。
「先生、俺、先生のこと好きなんだよ、」
先生は私の顔を見た。
まっすぐに私をとらえているその目は淡く揺れ動き、先生の心の中に広がる波紋がその網膜から透けて見えるようだった。
長く、無言の時間が続いた。
温まった紅茶が、ポコン、と音を立てた。
絶えられなくなって生唾を飲み込んだ瞬間、先生が口を開いた。
「真木くん、」
私は肩を震わせた。先生は微笑んでいたが、その目元はどこか切なげだった。
「気持ちを伝えてくれて嬉しいよ。不安な思いをしたろう。でも、」
でも。
その一言ですべてを理解した。逃げ出したい衝動に駆られたが、私の身体は思うように動かなかった。硬直したまま、先生の次の言葉を聞く。
「私は先生で、君は生徒だ。もしわたしが〈はい〉と言ったのなら、真木くんはここに残りたがるだろう。私の望みは真木くんが自分の道を自分の足で歩むことだ。大丈夫、君ならできる。私がいなくても――どういう意味か、わかるね。」
一語一句、丁寧に考え抜かれた言葉だった。決して私を傷つけないよう優しさに満ちていて、それでいてはっきりとした断絶を思わせる言葉。
「……、」
大丈夫、私は今しがた先生が放った言葉を自分自身に再度言い聞かせた。
どちらの返事をもらったとしても狼狽えないよう、その後どう振る舞うか何度も考えシミュレーションしてきた。だめだった場合は笑って〈やっぱり、だめだったかぁ〉と言い、後腐れなくさよならをすればよい。
計画通り笑顔を作ろうとする。だが、頬は強張って言うことを聞かない。込み上げてくるものを押し込めるので精一杯だった。
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