ナツノオワリ

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名古屋駅周辺にある個室居酒屋の店前で栗原 良太は立ち往生していた。ブランドの茶色のショルダーバッグからスマホを取り出して、時間を確認する。もう集合時間の六時を十五分ほど過ぎていた。九月も終盤になり、半袖Tシャツでは、夜は肌寒く感じる。もうそろそろか。そう思った時、後輩二人は、走りながらこちらへ向かってきた。 「栗原さん、遅れてすみません!」 「すんません!」 「遅かったなあ、なんかあったん?」 「ちょっと電車が遅延して...」 「そうなんか。大変だったな。まあいい、はよ入ろ」 良太は、そう二人を促して、そそくさと店へ入っていった。後輩二人は汗を拭きながらその後に続いた。 完全個室居酒屋で、案内された室内は、暖色系の電灯で照らされていて、畳に黒いクッションが敷かれた和室だった。 良太は、ここなら落ち着けて会話出来るなと思った。この店を選んでよかった。 「何年振りだっけか?俺が卒業して遊び行った以来だよな」 いくつか適当につまみと酒を注文した後、良太はそう二人に話しかけた。 「そうっすね。もう二十年振りくらいになりますか」 「懐かしいっすね」 「お前らも老けたな。もう、二十年になるもんな」 二年後輩の多田恭平と山瀬康二の顔はどちらも面影は残っていたが、あの頃とは少し貫禄さえ感じる様なものになっていた。この二人からしても良太はそう映っているかもしれない。顔の貫禄だけでなく、体型も中年のそのものになっていて、引退したスポーツマンあるあるを満たしていた。 「お前たちもう、結婚してるんだっけ?」 「俺はもう結婚して十年ほどになります」 多田は目を三日月のように細くしてそう答えた。 「俺はまだ五年くらいっすね」 山瀬は料理をつまみながら淡々と答えた。 「へえ、もう子供はいるのか?」 「俺は、六つになる娘と二つになる息子がいます」 「へえ〜いいなぁ。山瀬は?」 「俺は一人息子っすね。三歳です」 「一番可愛い時じゃないか。やっぱり将来は野球をやらせるのか?」 「まだ考え中っすねー」 と多田。山瀬の方は、やらせたいらしい。もし、自分に子供が居たとしたらと良太は考えていた。至った結論はやらせないだった。息子に自分と同じ思いをして欲しくないと思ったからだ。 「もし、今でも俺らみたいな野球部の時代だったら苦労するだろうな。今はほんとにいい時代になったよ」 「今は昔ほど上下関係ある野球部も少ないっすからね」 多田は酒をあおりながらそう答えた。 山瀬は飯を食いながら頷いていた。 良太も酒をあおり、一呼吸着いてからは口を開いた。 「ちょっとばかし、昔話していいか?」 「お、いいっすよ」 多田はそう答えた。山瀬も頷き、良太はまだ、自分達がまだ野球部だった頃の話を話すことにした。 「酒の肴にはならねえかもしれねえけどな。俺が三年の夏。お前らが一年の夏だ。最後の大会の記憶、覚えてるか?」 「愛知大会の決勝戦で惜しくも負けて、甲子園逃した試合でしたよね。さすがに覚えてますよ」 山瀬はそう言った。その通りだった。 「その試合がどうかしたんすか?俺らはベンチ外でスタンドで応援してたんで、あんま記憶に無いっすね」 「多田、そこに俺もいたの。覚えてないか?」 「あれ?そうなんすか?俺はてっきり」 「俺、三年の夏、ベンチ外だったんだよ。怪我で」 「それは初耳っす」 山瀬は初めて感情的にそう言った。 「それで俺は、あの決勝戦で負けた瞬間、あいつらの夏が終わった瞬間、みんなが悔しがってる中、あいつらが泣いてる中、心の中でほくそ笑んで嬉しかったんだ」 「なんかあったんすか?」 「話せば長くなるが、簡単に言うと俺はあいつらを憎んでた。俺が試合に出れなかったのはあいつらのせいなんだ」 「あいつらって誰なんすか?」 「覚えてるか?山崎隼人と秋山聡介」 良太は、二人の名前を出した途端に、三年の夏の思い出が溢れかえってきた。 「良太!そっち行ったぞ!」 「うおっ!」 誰かが放ったライナーが良太の足に当たった。その打球が当たったせいで良太は怪我をした訳ではなく、咄嗟に避けようとした時に肉離れを起こしたせいだった。この不運な怪我は、練習中、シート打撃で良太がグラウンドの外野でアップしている時に起こった。最後の夏が始まる一か月前の出来事だった。 「肉離れか。その怪我じゃ、夏の大会は厳しそうだな」 監督は淡々とそう言った。口ぶりは冷静だったが、背番号一桁を背負う内野の要を失ったのだから、内心は気が気でないだろう。それは良太もそうで、他の部員たちもそうだと思っていた。しかし、その予想は違っていた。 「良太、怪我のことは残念だったが、お前分まで必ず活躍するからよ」 山崎隼人は良太の肩を大袈裟にバンバン叩き、そう言った。山崎は良太と同じ三年で内野のレギュラーを争う立場であり、背番号は二桁だった。 良太は、誰にもぶつけられない悔しさだけが残っていた。今できることはその悔しさをリハビリにぶつけ、可能性のある限り、早く肉離れを治すことだった。 全治二ヶ月。そう医師からは診断されたが、専門家の手助けもあり、良太の肉離れは驚異的な早さで完治した。実に一ヶ月で治り、夏の大会に間に合ったのだ。 良太はその事を監督に直訴すると、監督からは意外な言葉が帰ってきた。 「いや、でもな、秋山はお前のことまだまだ治ってないって言ってたぞ。無理してるんじゃないか?」 「秋山が?有り得ない。俺はもう完治してます」 「お前が大丈夫と言っても、医者は全治二ヶ月と言ったんだ。お前だって悔しさはあるだろうし俺も出してやりたい。でも流石にお前の健康が一番大事だし、何しろ秋山からお前がまだまだ足を庇っていると聞いている」 良太はもう既に足を庇うようなスイングをしていない。完全に痛みや違和感は無かったのだ。無理をしていると言われれば、周りからはそう見えるかもしれない。しかし良太はそんなこと主将である秋山聡介に一言も言っていなかった。つまり、秋山は明らかに監督に嘘をついていた。 「おい、聡介。お前、監督にまだ俺が完治してないって言ってたようだな。俺はもう完治しているんだぞ?なんであんな嘘をついた?」 「落ち着けよ。俺はただ隼人にそう聞いたから、伝えた迄だ。お前に聞かずに言ったのは悪かったよ。後で監督に伝えとく」 「話が早くて助かるよ。よろしくな」 しかし、監督は良太に構わなくなった。もちろん、良太は秋山を問い詰めた。監督に本当に話したのか?としかし秋山は毎回シラをきるばかりで、会話にならなかった。 そして時は過ぎていき、最後の夏の大会になっていた。グラウンドには、本来ならば、良太がいる場所に、山崎がいた。山崎は涼太の本職であるショートに、背番号一桁を付けて守っていた。良太は、背番号の無いユニフォームでただ応援することしか出来なかったのが悔しかった。 試合を見れば見るほど、その悔しさは募っていき、気づけば夏の愛知県大会、決勝戦になっていた。事件はこの決勝戦で起こった。 良太の西高の主力選手が、体調不良を訴え、急遽、スタメンが変わったのだ。その中には、山崎隼人や秋山聡介が含まれていた。主力を 欠いた西高は大きく点差を付けられて敵チームに大敗した。良太は、山崎隼人や秋山聡介が悔しがる姿をスタンドから見て心底、心が震えた。 「良太、お前なんかしたか?」 宮嶋太郎は、怪訝な表情で震える良太に聞いた。宮嶋は、一度もベンチ入りしたことの無い三年生だったが、練習中、良太はよく宮嶋と話をする仲だった。 「なんでわかったんだ?」 「主力全員の水筒準備したのお前なの見てたんだよマネージャーの代わりに。そこで下剤でも仕込んだんだろ」 「お前はいつ名探偵になったんだ?」 「俺はよく人を見てるからな」 「ふーん。そうなのか」 良太は地面に蹲るあいつらを見て適当にそう答えた。今はこの感情に浸っていたかったが、そうもいかなかった。それは宮嶋太郎が放った一言のせいだった。 「俺の話は真面目に聞いた方がいいぜ。なんせ、お前が怪我することになった理由を知ってるからよ」 「は?どういう事だよ」 「あの時、お前が怪我した時、シート打撃のバッターボックスに居た奴は、秋山聡介だった。秋山は完全にお前を狙い打ちしていたんだよ。打球方向すべて、お前に向けて打っていた。俺にはそう見えた」 「なるほどな。山崎かと思っていたが、秋山だったとはな。でもまあそれなら辻褄が合う。主将のあいつが言うことなら他の部員は従うだろうしな」 秋山聡介が主犯だとしても、それを知っていて容認していた周りも、良太は宮嶋も許せなかった。良太の青春を奪ったからだ。 「そんなことがあったんすねー」 山瀬は焼き鳥の串で歯を爪楊枝代わりにして加えながら言った。 「ああ、俺の三年の夏は、あいつらのせいで終わったんだよ」 「でも先輩、当時、俺達にはそんなこと一言も言わなかったじゃないっすか」 多田の方は頬ずえをつきながら、話を真剣に聞いていた。 「まあ、当時は怪我のことでただでさえ気落ちしてたから話す気が起きなかったんだろ」 「結局、動機はなんだったんすか?秋山先輩の」 山瀬はそう聞いてきた。 「それが結局分からずじまいだ。俺はあの話を聞いてあいつらに愛想尽かしたからな。もうその日から関わってない」 「もう、連絡とってないんすか?宮嶋先輩とかにも」 「取ってないな。同級生の部員は誰一人」 「そうなんすね」 「こんな話でも酒の肴になったかな?」 「いい酒の肴にはなりましたよ」 多田はそうフォローした。 気づけばもう、二十四時を回っていた。 「お前ら、二軒目いけるか?」 「先輩、さすがにもう無理ですよ。明日月曜っすよ?仕事あります」 「そうか。明日、月曜だもんな」 「まだ話し足りなさそうですね。でも俺も明日仕事なんで」 「しゃーないな。今日はありがとな」 「先輩ゴチになります」 二人はそう言って、手を合わせ、良太は勘定した。 山瀬の方は俺の話をちゃんと聞いてるようには思えなかったし、多田はいい酒の肴になったと言ったが、それはお世辞で、無理やりなフォローにしか聞こえなかった。良太はあいつら2人も結局は自分のことしか考えてない薄情な人間だと思った。 今年も夏が終わる。あの一夏の終わりを感じさせる。でも俺の中ではまだ何も完結していなかった。みんなが夏を終える中、夏の終わりにただ一人、良太は取り残されたのだ。それは今なお続いている。 栗原良太の夏を終わらせるために、良太は、寂れた夜の飲み屋のストリート街を一人で歩く。深夜のガス灯の光を見たり、飲み屋で騒ぐ人の声を聞いたりすると、何故か安心して心地が良い。今日も誰かに絡み酒でもして、過去の栄光を聞かせるか。明日も同じようにパチンコスロットで時間を潰そうか。そんなことを考えつつ、俺は煙草を吸ってその場に捨てる。その捨てた場所には、煙草の吸い殻やら空き缶のゴミやらが大量に溜まっていた。 「この街も汚くなったな。居るだけで穢れそうだ」 間違いなく、良太はこの街と共に穢れていき、身を滅ぼしていくのだろう。 それを自業自得だと一切も思わず、ただ傲慢にそして怠惰に、滑稽に。
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