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「やめて……わたしの彼氏でもないのに、こんなこと……」
「じゃあ、彼氏だったら、なにをしてもいいって? 昨日はその彼氏でもない男に翻弄されて、あんなによがってたやつがよく言うよ」
彼の舌がわたしの首すじを這う。そうされるたびに、背すじがぞくぞくして、もはや読書どころではなくなっていた。
「ほんと、夏湖がこんなに淫乱だなんて知らなかった」
「……っ」
「あ、そうだ。なんなら今ここで犯してあげようか? 夏湖のだいすきな、本に囲まれたこの場所でさ」
「やだっ……っ」
目の前にいる男は、わたしの知っている彼ではなかった。わたしが必死に抵抗してみても、行為を止めてくれる気配はなさそうだ。
「やめて。わたしのこと、すきでもないくせに、彼女、いるくせに、こんなことしないでよ……」
絞り出すような声で、ひどく弱々しいものだったが、それはようやく彼の耳に届いたらしかった。動きが止まり、こちらを見る。
そして、思いがけない言葉が返ってきた。
「……は? それはそっちの方じゃないの?」
「なに、言ってんの……」
稜に告白できずに中学を卒業してしまったのに、どうしてそんなことを言えるのだろう。
在学中、ときには向こうにも気があるんじゃないかと思う言動もあった。ルックスが良いせいか彼はモテる。先日のように、女の子の人だかりができるのは当時からもよくあることだった。距離が近いわたしに対する女子からの風当たりは強かったが、それでも、稜と仲良くしていられたからよかった。だから、あの女と親しい仲であるという疑いがある以上、わたしはもう、無理だ。以前と同じようには振る舞えない。
黙ったままこちらのようすを窺ってくる彼。わたしはうつむきながら口を開いた。
「だってさ、彼女、いるんでしょ。見たの……昨日稜がわたしを見かけたようにね。あの女と帰るところだったじゃん。わたし、彼女に嫌われてるみたいだから、間接的にでも関わりたくない」
「ふぅん。おれがいつそんなやつの彼氏になったんだよ?」
「どういうこと?」
「そもそも、夏湖の勘違いだから。おれ、別にだれとも付き合ってないし」
「う、嘘だ……」
「この状況で嘘ついても仕方ないだろ」
そんなことってあるだろうか。
たしかに、稜の顔を見ると、嘘をついているときのような視線送りや仕草はしていない。本心から言っていることなのだろうが。
「じゃ、じゃあ、わたしが見た女子は……」
「昨日おれといた女子っていうと、たぶんクラスメイトの姉ちゃんじゃね? そのひとが下の名前で呼べってうるさいからそう呼んだだけだし。まあ、夏湖が嫌って言うならやめてやるけど」
そう言って、稜はわたしを挑発するような目で見つめてくる。
初対面のときもそうだった。こちらが先輩だというのに、やーちゃんには礼儀正しいにもかかわらず、わたしに対しては名前も呼び捨てで、敬意のかけらもない。けれど、それを悪くないと思っている自分も大概だ。
「それより、おれ、夏湖のこと許す気ないから」
「は? なんで」
「なんでも。とりあえず、行こうぜ」
「え、行くって、どこへ?」
どこに行くかを明かされず、わたしは稜に手を引かれて連れられる。来た道を戻っていく感覚になったので、思い当たる場所を言ってみた。
「学校、に、戻るの?」
「そうだよ」
「行って何するの?」
「決まってるじゃん。精算してよ。あのひと、まだ学校にいるはずだから」
精算、あのひと、という言葉を聞いて、どういう意味なのか一瞬わからなかったが、おそらくはユキとの関係を終わらせてほしい、ということなのだろう。
そういう意味では、わたしも精算したいことがある。
「……稜は、わたしとどうなりたいの?」
「は?」
「だって、ユキと精算しろって言うんだから、わたしと付き合いたいとか、独占したいとか、なんかはあるわけでしょ」
「……」
「それ聞いてからじゃなきゃ、行かない」
「今さら、言わなくてもわかるだろ」
当時はずっと告白したくても勇気か出なくてできなかったのに、こんな形であっさりお互いの気持ちがわかってしまうなんて、なんと表現すべきなのか。
それから、彼の言いたいことはなんとなくわかった。きっと、わたしと同じ気持ちなのだろう。だが、そういう問題じゃない。
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