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「なんだよ。助手席に乗ればいいのに」
わたしは運転席と対角になる左側の後部席に座っていた。なんとなく、恋人の方に申し訳ないですから……と言うと、今、彼女いないし変な気を回すな、と苦笑しながら先生が答える。
「でも、先生、人気ありますよね? 女子生徒に囲まれているのをよくお見かけしますよ」
「生徒は生徒でしかないからなあ。おれに対して抱く感情は、憧れや一時の感情にしかすぎないんだよ」
エンジンをかけながら、先生はそう言った。
「そうでしょうか? 本気で先生を思っているひともいるんじゃないですかね」
「そんなこと話す余裕があるなら、このまま家に帰ってもらうぞ」
バックミラー越しに先生に脅され、わたしは即謝罪する。先生はそんなわたしを見て軽く嘆息すると仕方がないな、とアクセルを踏んだ。そして、先生が車を進める方向を眺めて、驚く。
「先生、待ってくださいよ。だから謝ったじゃないですか」
「え?」
「自宅への搬送はご勘弁を……」
「何言ってんの? おれは別に担任じゃないし、家の住所知ってるはずないだろ」
「え」
たしかに、言われてみればそうだ。
すれ違っても挨拶程度で、まともに先生と会話をしたのはこれが初めてなのだから。
「……じゃあ、先生って、わたしと住んでる方面が同じなんですね」
「マジか。ここ数年ずっと今のところに住んでるけど気づかないものだな、意外と」
「そうですね……意味、なかったかも」
意味深に呟くと、再び先生がミラー越しにこちらを見てくる。
「悩みの原因は後で聞くとして、家に帰らなくて親御さんは心配しないのか?」
「大丈夫です。放任主義で、わたしが何をしようと口出ししませんから」
「……わかった。それじゃ、もうすぐ着くから」
その言葉通り、車は数分後に停まった。駐車場を降りてすぐ近くに2階建ての建物が。
「……こんなところに、アパートなんてあったんですね」
「少なくとも建てられたのは10年以内らしいけどな」
わたしの家から、10分ほど離れたところにあるのだろうか。この地から一歩も出たことはない(引越しなど一度もしていない)のに、この建物の存在を知らなかった。それに、先生がわりと最近になってこの辺りに引っ越してきたということも初耳だった。
「……それで? どうしたの」
先生の部屋の中へ案内され、わたしはリビングの床に座りこむ。先生からどうぞと渡された缶コーヒーを受け取り、プルタブを開けてそれを一口飲み、わたしは口を開く。
「……彼氏に、いきなり振られたんです。先生はそんなことかって、思うかもしれませんけど」
「思わないよ。10代の恋愛って、貴重なものだからね。それで、振られてずっとあそこにいたの?」
「はい。彼、最近引っ越してきた転校生だったんです。まぁ転校生といっても、前にこちらへ住んでいて、わたしはいわゆる幼馴染ってやつで。それで、彼女になってほしいって告白されて、受け入れしました」
「向こうから告白して、振って、何してんの、その転校生くん」
「彼の望む、理想の彼女になれるようにがんばったんです。それなのに、わたしといる自信がない、って言われて……」
そのときの光景を思い出してしまって、つい涙ぐんでしまう。けれど、先生の前では泣きたくなくて、必死に涙をこらえた。
「なるほどね。でも、それでよかったの?」
「何が……ですか?」
「彼氏、じゃなくて、元彼氏の言いなりになっていて、ってこと。無理してまでその男の理想でいなきゃ続かない恋なら、却ってよかったんじゃないか?」
「え……」
「飾らない自分を受け入れてくれる、別の男と新しい恋した方がいいと思うけどな」
先生の言い分は、妙な説得力が感じられた。言われてみれば、たしかにそうかもしれない。彼の望む姿でいたいと思うことが自分の意思ではあったものの、無理をしていたのは間違いではないのだから。
「いずれにせよ、元カレがいちばん悪いよ。おおかた再会した幼馴染が昔よりもずっときれいになっていたから、つき合ってみたくなった、っていうところだろうな」
「きれい……ですかね? わたし」
「なんだ、自覚ないの? おとなのおれでさえ、魅力あるなって思うよ」
「……自覚もないし、自信も持てません。先生のその言葉は、お世辞として受け取っておきます」
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