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過去
男性の恋は、名前をつけて保存。
女性の恋は、上書き保存。
そんな例えを聞いてから、未練、なんていうものは男がするものだと思い込むようになった。女は諦めのよさが肝心なのだと。けれども、実際はそうでもない。女だって、未練のひとつやふたつ、平気で残ってしまうものなのだ。
「あいつがさー、隣の高校に入学したらしいよ」
放課後の図書室、わたしは友人であるやーちゃんとお互いに別の本を読みながら駄弁っていると、彼女が思い出したようにそう言った。
わたしたちの通う高校の隣には、進学校で有名な男子校が設けられている。もちろん、合格することは容易ではなく、わたしたちの代では3人ほどそこへ進学を決めたものがいた。
「そのあいつって、あいつ、だよね……」
あいつ、の一言でわかってしまうわたしも、相当なものだ。
「そ。あいつはあいつ、つまりは稜ね。頭はいいと思っていたけど、まさか我々の隣のガッコに進路決めちゃうなんてね」
「それにしても、やーちゃんなんで知ってるの。あいつと連絡の取り合いでもしてるわけ?」
やーちゃんとわたしは中学からの仲で、そこに稜と後輩のもうひとりを交えてよく遊んでいたのだった。
「中学卒業してからあいつの連絡先なんて消しちゃったよ。夏湖を差し置いて、稜と連絡なんて取れるわけないじゃない。そうじゃなくて、たまたますれ違って見かけたのよ。向こうはこっちに気づかなかったみたいだけどね。そしたら、あそこの制服を着てたから」
「そ、そうなんだ……」
稜と知り合ったのは、彼とやーちゃんが顔馴染みだったのがきっかけで、彼女が話題に挙げ、お互いに気になったからだった。実際、わたしは彼と対面してみて一目惚れをした。瞬殺だったと思う。先輩や年上の男に興味を持つ同級生が多い中で、年下の男の子に惹かれることに何の抵抗も感じないくらい、どうしようもなく彼に恋焦がれてしまった。
そんなふうにして知り合ったわたしたち。何度も遊んだのに、稜のことがすきだったのに、わたしは自分の気持ちを告白できないまま中学を卒業してしまった。彼の連絡先はまだ残しているけれど、もし、その繋がりが絶たれてしまっていたら……と、悪い予感が頭に浮かんでしまって、踏ん切りをつけられずにいる。彼を思っていた当時がよみがえってしまって、どうすることもできない。
「いい機会じゃない。今日、これから行ってみたら? もう帰っちゃっていないかもしれないけど」
「やーちゃん……」
「だって、夏湖、稜の話になってからぜんぜんページ進んでないよ?」
思考が停止して、だいすきな本を読めなくなっていたことにも気がつかなかった。必死に活字を追いかけてみても、まるで内容が頭に入ってこない。
「行動にうつしてみる価値、あるんじゃない? わたしはここに残って先生とお話してるからさ、ね?」
やーちゃんにいいように言いくるめられた気がするけど、後押ししてくれたのは確実だ。わたしは思いきって彼の通う高校のほうへと足を運んだ。
放課後になってからずいぶんと時間が経ったというのに、校門からぞろぞろと生徒が出てくる。集会かなにかで下校時刻が遅れているのだろうか。すれ違うひとが話が長くてうんざりするよ、といったような声が聞こえてきた。
「ねえ、だれか待ってるの?」
校門から少し離れたところでうつむいて立っていると、男子生徒に声をかけられた。思わぬ展開に、わたしもあたふたとしてしまう。
「え、あの、そういうわけじゃなくて、まあそうなんだけど……」
「あれ、夏湖?」
夏湖と呼び捨てにされたことと、その聞き覚えのある声に、わたしはうつむいていた顔を上げた。
「ユキ!」
わたしと声をかけてくれた男子生徒の声が重なる。どうやら、わたしだけでなく彼にとっても知り合いのようだ。
ユキは中学のとき、わたしとクラスメイトだった。当たり前だけど当時よりも背が高く、大人っぽくなっている。
ユキの知り合いだったら、おれはお役御免だなと言って、最初に声をかけてくれた男子生徒は帰っていった。
「久しぶり。そういや夏湖の学校隣だったんだっけ。全然顔合わせないのうけるな」
「だよね」
「こっちになんか用だった? だれか待ってたとか」
「ううん、別にたいした用事じゃないんだ……」
そう言いながら、ユキに視線を向けると、彼の背後から、目的の男が現れた。意を決して声をかけてしまおうとした気持ちを、一瞬で抑えるはめになる。
「……!」
彼はわたしがこの世でもっともきらいな名前を呼んだかと思えば、無論こちらに気がつくこともなくその名前の女の元へ駆け寄っていった。
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