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ナイトマーケット
港のナイトマーケットは熱気と活気に満ち溢れていた。通りの中央に食べ物の屋台が並び、その中央に配置されたテーブルは、友人や家族と夕食をとる人々でほとんど埋まっている。あちこちの屋台から食べ物の香ばしいにおいが漂い、人々の楽しげな声は、深い夜空に吸い込まれていた。
カラフルなパラソルの下、アルトは大きなホットドッグを頬張っていた。ソーセージから熱い肉汁が飛び出し、はふはふと空気を吸って冷ます。しゃきしゃきとした玉ねぎの辛みが、肉のうまみを引き立てる。
アルトの目の前に、蓋が開けられたソーダのボトルが差し出された。ボトルを差し出したのは、ロボットのバリンだ。受け取ってぐいと飲むと、ぴりぴりとした炭酸が口の中の脂をすっきりとさせた。
「ありがと」
アルトがバリンにお礼を言うと、バリンは優しげな笑みを浮かべた。
「おまえは幸せそうに物を食べる」
バリンにそう言われて、アルトは照れ笑いを隠すように、再びホットドッグにかぶりついた。ロボットであるバリンは食事を摂らないが、アルトが食べるのを見ながら、会話を楽しむ。幸せな休日だ。
バリンはいつもの強化防護スーツではなく、今日はカラフルな植物柄のシャツを着ている。ロボットを表す記号がついたバッジが胸についていること以外、バリンをロボットと見分ける手がかりはない。この新しいシャツは、港のショッピングセンターで、アルトとバリンが店のコンシェルジュ・ロボットに相談しながら選んだものだった。アルトは服を選ぶセンスにあまり自信がなかったが、実際にバリンが着てみると、明るい色の肌と暗い色の髪や瞳に派手な植物柄がよく映える。警備ロボットとしての任務にあたるバリンの強化防護スーツ姿はかっこいいが、今日はいつにも増してかっこいい。
アルトは顔のほころびを抑えながら、セットのフライに手を伸ばした。
ふと、嫌な予感がした。数人の客たちが食べ物を持って楽しげにおしゃべりしながら、近くのテーブルにやってきた。そのうちの一人がバリンに近づき、アルトに声をかけた。
「椅子を使ってもいいですか」
突然のことにアルトが驚いていると、バリンは黙って立ち上がった。
「ロボットですよね」その人物は、バリンの胸のロボットを示すバッジに目を向ける。「席は、混んでいますから、ね」
続けてそう言うと、バリンの座っていた樹脂製の椅子に手を伸ばし、自分たちのテーブルへと持ち去った。一瞬の出来事だった。テーブルにつく人間たちは、こちらをチラチラと見ながら、何事かをささやき合い、笑い声を上げている。
「何だよあれ」
アルトは顔をしかめてバリンを見上げた。
「問題か? 私はロボットだから、椅子は必要ないが」バリンは肩をすくめた。
「くそっ。他にも空いてる椅子があるだろ」
アルトは食べかけのホットドッグを乱暴に置くと、立ち上がる。「ちょっと探してくるから、そこ座ってて」そう言いながら、自分の座っていた椅子を指差した。
「私が椅子を探してこようか?」
「そういうことじゃないんだよ」アルトはバリンを睨みつける。
気分が最悪だった。遠くを見渡せば空いてる椅子が目につくのに、わざわざバリンの椅子を持っていくなんて。バリンを一目でロボットと見抜く人は、そもそも少ない。よほどロボットに詳しいのか、ロボットに対して何か思うところがあるのか。だから、椅子を取っていったのは何かの当てつけに違いないと感じる。ロボットは人間と共に食卓を囲むべきでないとでも言うのか。楽しい一日が台無しだ。
バリンはアルトに近づくと、肩に温かな手を置いた。
「私がその椅子に座るなら、おまえは私の膝の上に座るといい」
「そんな」意外な申し出にアルトは顔を赤くした。「椅子が壊れるだろ」
樹脂製のチープな椅子が、ふたり分の重量を支え切れるようには思えない。もっとも、人目の多い場所でいちゃつくのは恥ずかしいが。
「臀部にかける負荷は調整できる」バリンはそう言って片目をつぶった。
「もう」
アルトは困惑の表情を浮かべながら、バリンの背中を軽く叩く。
「そういうことでもないのだろうか」バリンは心配そうな表情で、アルトの顔を覗き込んだ。「おまえは私の人間だ。だから、おまえの悲しみは私の悲しみだ」
アルトは黙ってバリンを見上げた。悲しみなのか。それだけではなかった。悔しかった。馬鹿にされたと思う。嫌な気持ちだ……
「アルト」やがてバリンは穏やかな声で言った。「他の場所へ移ろうか? この近くに広い公園がある。美しい植物が多く、評価が高い」
「うん」アルトは力のない声で答えた。
バリンは手早くテーブルの上を片付け、荷物を持ってアルトに手を差し出した。バリンの素手はすべすべとしていて温かい。彼らはナイトマーケットの喧騒を後にした。
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