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動揺
翌朝。
7時半過ぎと言うこともあって、土曜日だというのに緑地公園内は人の数もまばらだった。すでに6月と言うこともあってか日が強く照っており、肌に刺さるような感じがする。
だが、私はそんな事も気にする余裕は無く、ジョギングコースの入り口近くのベンチに座って頭がクラクラするような緊張感を感じていた。
普段は好きだったむせかえるような草木の香りや、木々の緑も心なしか暴力的に感じる。
公園に着いてからじっと早鐘のように鳴っている心臓の音が耳に響いてより緊張感を増す。
そんな自分に焦りを感じながら、私はウィッグを何度も撫でる。
そして小さな鏡を見ては化粧を施した自分を確認する。
場違いにならないよう薄化粧にしたつもりだったが、大丈夫だろうか。
先生は引いてしまわないだろうか・・・
そう、私は化粧を施しウィッグを着け、ランニングウェアに身を包んで山辺先生を待っていたのだ。
以前、授業の後に何気ない感じでジョギングに関して聞き、そこで犬の散歩のため毎日平日は6時頃。土日は8時過ぎに緑地公園を走っている事はたまたま確認していたのだ。
それを元に昨日私が考えたこと。
それは山辺先生と一緒に走る機会を得ることだった。
女性である自分で。
清水先生に負けないために。
ただ、家を出て公園内のトイレで化粧等行う時までは意気揚々としていたが、こうして先生を待つ段になって初めて後悔し始めていた。
あまりにも衝動的すぎたような・・・。
そもそも今の自分が先生とどうやって走るんだろう?
鈴村昭乃であることは内緒にするつもり。
もちろん当然。
バレてドン引きされてしまったら比喩で無く生きていけない。
だったらそもそも一緒に走る切っ掛けなんて作れない。
犬を褒めて、それを切っ掛けに一緒に・・・と思っていたが、いざとなるとあまりに不自然すぎると分かった。
それに仮に一緒に走れたとして、それからどうする?
(とっても楽しかったです。良かったらこれからも定期的に一緒に走りましょう)
そんな事を初めて会った中学生に言われて「喜んで!」と答える大人がどこの世界に居るんだろう?
やはりこの格好は辞めようか。
そんな事が浮かんだが、軽く首を振った。
それは嫌だ。
私は清水先生に負けてない。
私の方が・・・
それを気づいて欲しい。
その時「どうしたの?大丈夫」と男性の声が聞こえ、驚いて顔を上げた。
どうやら考え込み過ぎて、周りが目に入っていなかったらしい。
そこに居たのは見たことのない中年の男性だった。
散歩だろうか。
だが、白いポロシャツもどこか薄汚れており所々黄ばんでいる。
髪もボサボサだし、よく見ると顔にも垢らしき物が浮かんでいる。
「あ、大丈夫・・・です」
不安を感じた私は、愛想笑いを浮かべて軽く頭を下げた。
だが、男性は私の方をまじまじと見てきて、そのうち顔をグッと近づけて来た。
「君、可愛いね。まるでアイドルみたいだよ。声も・・・あ!あれだ!宝塚みたいな感じの声で、それもまたいい。ね、よく言われない?アイドルみたいとか、絶対言われるよね?」普段なら嬉しくなってしまう言葉だが、今はただ恐怖感しかない。
「ありがとう・・・ございます。あの、私これで」
急いで立ち上がり公園の出口へ向かうが、男性は同じペースで後を追いかけてきた。
「君ここ走るんだよね?俺もここ良く来るんだ。一緒にどう?」
どうしよう。
足が震えて、足取りもおぼつかない。
周りには誰も居ない。
走って逃げようか。
でも追いつかれたら・・・
泣きそうになりながら小走りで歩くが男性も歩調を早めてくる。
「一緒にどうって言ってるじゃん。無視しないでよ。ねえ!」
男性の強い口調に血の気が引くのを感じ、目の前が涙で滲んできた。
足が震えて立ち止まりそうになったその時。
「どうしたんですか」
横の方から静かな口調の声が聞こえた。
この声。
弾かれたように声の方を見ると、そこには車椅子の犬を連れた山辺先生がいた。
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