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「お母さんですか? ウツギなら学校のプールにいますよ」
それだけ言って、深山は一方的に電話を切った。
「なんてことしてくれたんだ!」
「言ったでしょ? 夏を終わらせるって」
ニヤリと笑ったかと思えば、深山は突然走り出し、そのままの速度でプールへ飛び込んだ。バタ足とは比にならない量の水飛沫が舞い上がり、夜に弾ける。髪をかき上げながら顔を出した深山が両手を広げた。
「ウツギ! 来い!」
『水に入ってはいけません』
深山の声に母の声が重なり、足が竦む。暗くて見えない水の底からいくつもの手が伸び、僕を手招いているように見える。入ったら最後、絡め取られて二度と帰れないかもしれない。
「で、できない……」
尋常じゃない速さの鼓動が耳に響く。水が怖くてたまらない。だけどそれ以上に、母の言いつけを破り失望されることが怖かった。母に見捨てられたら、僕は今度こそひとりになってしまう。
「ボクがいる!」
闇を切り裂くような深山の叫び。目一杯広げられた華奢な腕。誰かに背中を押されるように、僕は深山を目掛けて飛び込んだ。
めちゃくちゃな体勢で飛び込んだのだろう。僕は水面に強かに胴体を打ちつけた。痛みを感じる間もなく穴という穴に容赦なく水が入り込んできて、僕は狂ったように手脚をバタつかせた。
「落ち着いて、脚はつくから!」
深山が僕の両腕を押さえつける。パニックになりながらもどうにか力を抜くと、おへそから上が外へ出た。水を大量に飲み込んだせいか、吐き気の波が何度も襲いかかってくる。浅い呼吸を繰り返す僕の背中を深山がさする。「よくがんばったね」そう言って、涙と鼻水まみれの僕を強く抱きしめた。
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