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天体図館はFMラヂオの小声で満ちている。
「季節はすれ違っているんだろうか」
木蓮は氷菓をつつきながら聞いた。氷菓をつつく度に曹達水のなかで氷が弾む。
クロエは曹達水を啜った。氷菓が少し沈んだので、カラカラと氷を回した。
「混ざり合っていくんじゃないかな。くりぃむ曹達みたいに」
僕たちは夏になると、くりぃむ曹達が飲みたくなる。あのヒンヤリと甘くて、シュワシュワと落ち着かない感じが夏のようで僕たちはそれを好ましく思う。しかしもう、くりぃむ曹達を飲むことはない。夏が終わろうとしているから。そして、木蓮が天体図館へ来ることもない。木蓮は遠くへ行ってしまうから。
木蓮はいわゆる、転勤族というやつだ。二年前の春にクロエの学級に転校してきた。木蓮の花弁のような白い肌が春光を浴びた産みたての卵のようだと思ったことをクロエは今も鮮明に覚えている。
学校が終わるとクロエは喫茶・天体図館へ駆け込んだ。駅前の円形交差点に延びる人気のない路地の中にそれはある。クロエはここの二階の窓辺の席を気に入っているのだ。しかし、その日は先客がいた。木蓮だ。クロエはショックを受けた。そこはクロエの孤独を救っていた特別な場所だから。さらさらと崩れていった優越感と自尊心に足を取られ、自然と出口に向かわせた。
「ねぇ。君はたしか、同じ学級のクロエだよね?」
クロエはお気に入りの席を振り返った。事情を知らない木蓮は残酷に笑みを浮かべている。
「まさか転校初日に学校の外で同じ学級の子に会えるとは思わなかった。もしかして、ここは生徒たちに人気の喫茶なのかい?」
「いいや。僕以外は誰も知らないと思う」
「そっか。じゃあ、ここは僕と君の秘密基地だね」
クロエは拳を握った。ここはクロエだけの場所だった。いくら転校生とはいえ、密接距離を侵されることはお気に召さない。クロエは木蓮を苦手だと思った。しかし、木蓮はクロエの様子に構わず、窓の外を指して言った。指は枝のように細く、春光のせいで本当にそこに木蓮が咲いているようだった。
「僕、この席好きだな。天象儀の看板が目の前にあるのがいい。近くにあるのかい?」
「二つ隣の駅にあるよ」
「そうなんだ。今度連れて行っておくれよ」
再び浮かばれた笑顔にクロエは敵わないと思った。木蓮はおっとりとした天真爛漫な子だ。こういうタイプは嫌味や皮肉にひどく鈍感であることをクロエは直感で知っていた。
クロエは木蓮の前に座った。陽だまりが心地よく、春はここでうたた寝することが好きだ。
木蓮は身を乗り出して聞いた。琥珀色の瞳がきらきらしている。
「おすすめのメニューは?」
「くりぃむ曹達」
「メニューには載っていないけれど」
「夏限定なんだ。僕は毎年夏、この席でくりぃむ曹達を飲む。僕の夏はそうして始まって、そうして終わるんだ」
「なら、僕も夏がきたら、ここで君とくりぃむ曹達を飲もう。これからよろしくね、クロエ」
そうしてクロエと木蓮は親交を深めていった。
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