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第35話 泣き寝入りは性に合いません
空間が歪んで、浮いた足がすぐまた床についた。
気づけばどこかの部屋にいて。
鼻をつく消毒液のにおいに、保健室なんだってすぐに分かった。
「ひとまずは座ってくだされ。いま茶でも入れますのでな」
まだ頭が働かなくって、言われた通り丸椅子に座った。
遠くから学園祭の喧騒が聞こえてくる。みんなたのしそうでいいな。なんでわたしだけがこんな目に。
そんなふうに思ったら涙があふれて止まらなくなった。
「よかったらお使いくだされ。なに、ちゃんと洗った新品ゆえ、心配には及びませんぞ?」
「あ……りがと……ございます」
目の前に飛んできたふわふわのタオルを受け取って、ぎゅっと眼がしらに押し当てた。
(キスくらいでこんな泣くことないじゃん)
山田に涙を見られたことが、なんだか急に悔しく思えてきて。
落ち着いてきたら、今度はふつふつと怒りが湧いて来た。
(そうよ、なんでわたしが泣かなきゃなんないの?)
悪いのはぜんぶ山田だ。
どうせ殴るなら、平手打ちじゃなくてグーパンチにすればよかった。
「泣いたと思ったら今度はお怒りのご様子。かっかっか、まるで百面相、ハナコ嬢は見ていて飽きませんな」
笑いながらヨボじいが緑茶と茶菓子を差し出してきた。
お、これジュリエッタんとこのいちご大福じゃん。
日本で未希んちって老舗の和菓子屋だったんだよね。この世界でもジュリエッタのプティ子爵家は、和菓子事業を展開しててさ。
「わしのお気に入りでしてな。あんこが苦手でなければ食べてくだされ」
「こちらはわたくしも大好きですわ」
ヨボじいの厚意に甘えて、遠慮なくいちご大福を頬張った。
うん、薄い求肥に硬めのあんこ、いちごの酸味がナイスなバランス。ぬるめの玉露も最高級で、ヨボじい結構こだわってるな。
ふふって思わず笑いが漏れた。
甘いものひとつで復活しちゃってるわたし、未希が言うようにすごく単純だな。
「おかげで大分落ち着きました。ありがとうございます、先生」
「なに、わしは大したことはしておらんのでな」
冷静になってくると、今後の問題が色々見えてきて。
大勢の前で王子を殴り飛ばすとか、やっぱアウトな行為だったよね?
「先生、わたくし、不敬罪に処されますかしら?」
「あれだけの数の目撃者がおることですし、ハナコ嬢が罰せられでもしたらそれこそシュン王子に非難が集まるでしょうな」
本当にそうだったらいいんだけど。
これがきっかけで、ギロチンエンドが加速したらどうしよう。
「心配せずとも、万が一そんなことになるようでしたら、このわしが黙っておりませんゆえ」
不安げな顔してたからかな。ヨボじいがそんなことを言ってくれた。
心強いんだけど、一介の保健医と一国の王子。どっちの立場が上かなんてのは明白で。
いざとなったらヨボじいを巻き込まないよう気をつけなくっちゃ。
「ハナコ姉上!」
いきなり健太が目の前に現れて。
うおっ、びっくりしたっ。転移魔法って便利だけど心臓に悪いんだよね。
心配して来てくれたんだな。健太ってば、ほんと姉思いのできた弟だ。
「わたくしなら大丈夫よ。なんだか劇を台無しにしてしまったわね。ごめんなさい」
「姉上が謝ることじゃない」
ぶっきら棒に言う健太、ちょっと怒ってるみたい。
わたしにって言うより、山田に対してなんだと思うけど。
「でも、ケンタ。わたくしが保健室にいるって良く分かったわね」
「ああ、うん……ここにいるだろうから行ってやってくれって」
健太は複雑そうな顔をして。
そっか、山田に言われたんだ。制服リボンのブローチ使って常に監視してるんだもんね。わたしの行動なんて山田に筒抜けだ。
胸元のリボンを外して、ヨボじいから借りたタオルでそれを包んだ。
「先生、こちらを預かっていてくださいませんか?」
「む、これは……なにやら魔力を感じますな」
山田が仕込んだGPSに気がついたのかな。ヨボじいってやっぱり只者じゃないのかも。
先生に渡しとけば、山田も文句言いづらいだろうし。わたしがGPSの存在に気づいてるって、向こうは思っていないハズ。だからこれは抗議のつもり。
これ以上、山田の好きにはさせない。そんな意思表示ってことで。
「今日はもう失礼させていただきますわ。わたくし、いろいろあって疲れてしまいましたから」
「後のことは気にせずゆっくり休みなされ。何かあったらいつでも相談に乗りますゆえな」
「ありがとうございます、先生」
言葉だけうれしく受け取っとこう。
やっぱりヨボじいを巻き込んだら申し訳ないもんね。
「先に帰るけれど、ケンタはこのまま学園祭をたのしんできて」
「いいよ、一緒に帰る。俺が転移魔法で家まで連れてくから」
「でもたいへんでしょう?」
劇でかなり魔力を消費しただろうし、さっきも転移魔法使ってたし。その上わたしを運んだりしたら、健太魔力切れ起こしちゃうんじゃ?
「馬車で帰るから大丈夫よ」
「心配しないで。俺、そんなにへなちょこじゃないから」
健太に手を握られた次の瞬間、もう自分の部屋の前にいた。
おおう、転移魔法便利すぎ。
「未希姉ぇも心配してた。何か伝言ある?」
「え? 健太、また戻るつもりなの?」
「すぐ帰ってくるけど。その、報告もしてこないとだし……」
あ、察し。
ケンタの立場上、王子の山田にどうだったかを言いに行かなきゃならないんだな。
「……わたし、しばらく学園休もうと思う。それだけ未希に伝えといて」
「了解。じゃ、行ってくる」
言うなり健太が目の前から掻き消えた。
おおう、やっぱ転移魔法便利すぎだな。
さて、これからどうするべきか。
このまま泣き寝入りするのもシャクに思えて。でもギロチンエンドを回避しようにも、ゲーム進行がめちゃくちゃで先が読めなさすぎる。
どれもこれも山田の奇行が原因だ。なんて考えてたら、キスの感触、思い出しちゃったよ。
本当ならキスする相手はユイナのハズだったのに……。
ああもうっ。
ゲームの強制力、ちゃんと仕事しろっつうの!
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