晩夏の夕暮れ、雪女を送る

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 その女は全てが純白だった。ハーフアップにした腰まである真っ直ぐな髪も、真珠のような輝きを秘めた眼も、眉毛もまつげも、冬の最奥に色を置いてきたかのように白かった。紅を差しているのか、唇だけは雪の中に咲く椿のように赤い。その唇で淑やかに弧を描きながら、女は手元のスマートフォンの写真をスライドさせ、鈴虫の声に耳を傾けていた。  チリンチリンと風鈴のようなドアベルを響かせて、女の座るベンチの横の引き戸が開く。そこから出てきた青年は『雪女の氷室』と書かれた暖簾(のれん)を下ろし、干し草のような色をした上着に袖を通した。 「遅かったではないか。女を待たせるとは無粋な男め」 「すみません、ユキさん。建付けのせいか裏口がなかなか閉まらなくて。そろそろ出発しましょうか」 「うむ。(わらわ)も心の準備が出来た。()こうかの」  スマートフォンを白い巾着に入れ、ユキと呼ばれた女が立ち上がる。氷を編んだような(たもと)は涼のにおいをはらんだ風に揺れて、粉雪のような輝きを放った。  都市部から車で三時間ほどの場所にある山間の村、すっかり過疎化の進んだ村をユキと青年が歩いていく。登山靴にリュックという重装備の青年に対し、ユキは小さな巾着一つに草履という軽装だった。まるで日課の散歩にでも出掛けるように、ユキは軽やかな足取りで砂利道を進む。青年は土の窪みに足を取られないように注意しながら、その後に続いた。 「今年は一等忙しい夏じゃったの。妾の名が知れ渡ったのか、妾と写真を撮りたがる珍客までよう来おったわ」 「SNSでバズってから、口コミが一気に増えましたからね。ユキさんのお陰で今年は開店してから一番の売り上げになりました。本当に感謝してます」 「良い。妾とて人里に降りて売り子の真似事をする程度、苦しゅうない。してシゲミチよ、今年はどれだけの稼ぎがあった?」 「店の改築費用が捻出出来そうなくらいには。いかに田舎の氷屋というコンセプトでも、今にも崩れそうなボロ屋では快適ではないですから」 「今どきの若者は神経質でかなわん。妾は今のボロ屋も気に入っておるのじゃがの」 「僕も同じ気持ちなんですけどね。トイレが不潔というだけで客足が遠のいてしまうのが現実ですので」  シゲミチの住む村ではかつて良質な氷が取れ、有力な将軍家に献上するために氷室が構えられていた。シゲミチの家もその昔は氷室の守り手をしており、明治維新を迎えた頃には氷菓を売る甘味処を営んでいた。しかし時代とともに村民の数が減り、店は廃業の危機に追いやられる。ご先祖様の作った店をつぶしたくないと思ったシゲミチは、過疎化の進む村を救う起死回生の一手を打つことを兼ねて、SNSを使って甘味処の宣伝を始めた。しかし、いかに投稿を重ねようと田舎にあるただの甘味処が人気を集められるはずもなく、鳴かず飛ばずの日が続いた。ユキとの出会いを果たすまでは。
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