晩夏の夕暮れ、雪女を送る

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「おや」  平坦な砂利道が緩やかな坂になり始めた頃、ユキが足を止める。前方にイノシシがおり、ユキ達を見つけるなりブキーと威嚇した。 「食料を得るために斯様なところまで降りてきたのか? 自分の領分を見極められぬとは、困った奴よの」 「ユキさん、離れて! 危険です!」 「やれやれ、妾をか弱い小娘とでも思うておるのか? そこで見ておれ」  ユキは純白の右手を掲げ、塵を払うように軽く振った。すると銀色の光がイノシシの鼻先で弾け、驚いたイノシシが山に引き返していった。 「ふっ、造作もない。ほんの少し冷気を放ってみればこれよ」 「さすがですね」 「先を急ぐぞ。夜が更ければ、そちにとってもっと危険なものも出よう」  氷室として名を馳せたこの村には古くからある伝承があった。それは村を見下ろすように鎮座する山には雪女が住んでおり、冬になると地域一帯に大雪をもたらすというもの。昔の村民は吹雪に村が閉ざされることを恐れ、雪女を慰めるために祭りを開き、供物を捧げたという。時の流れに淘汰され、いつしか祭りも開かれなくなったが、村で良質な氷が取れたのは雪女の加護によるものと言い伝えられていた。  ユキは伝承で語られる雪女その人だった。  ユキというのは世を忍ぶための名で、人間の名前にあたるものはそもそもない。雪女と呼ばれる白い妖怪はこの山で一人なのだから、呼び分ける必要がないのだと彼女は語った。シゲミチがユキと出会ったのは、猟師をしている知人を手伝うために冬の雪山に入った時のことだった。シゲミチはうっかり斜面で足を滑らせ、雪の降り積もった崖下へと転落した。そこがユキの棲み処だったのだ。ユキは自分の姿を見たシゲミチを冷気で始末しようとしたが、幼少期から伝承の類が好きだったシゲミチは雪女を恐れることなく、「美しい人だ」と称賛した。するとユキは呆れた様子でシゲミチを雪の中から救い出した。そして殺さない代わりに自分を楽しませるようにと言った。そこでシゲミチがした提案により、ユキの暮らしは大きく変わることとなった。 「しかし、そちの提案は今振り返っても酔狂なものよ。雪女としての力を休める夏の間、妾を人里に迎え入れ、世話をするとは。しかも律義に妾の送り迎えまでしおる。イノシシごときに震え上がるか弱き身でありながら」 「当たり前です。あなたにはこちらのわがままを聞いてもらっているわけですから」 「村民が減って祭りは開けぬ、供物も捧げられぬ。されどひと夏の間、妾を楽しませる方法はあると。まさかそれが甘味処の売り子をすることだとは思わなんだ。最初は見くびられたものだと思ったが、なかなかどうして愉快じゃな」 「氷以外はこれといった特産物もない村ですから。雪女の伝承になぞらえるのは良い村おこしになると考えました。ユキさんも村が廃れていくよりは賑やかな方がいいんじゃないかと思って」  ユキを受け入れるにあたり、シゲミチは甘味処の名を『雪女の氷室』と改め、商品もただのかき氷という名をやめて『雪女の粉雪』に変えた。そして冷気を放つユキの写真をSNSに上げ、『雪女に逢える甘味処』として発信を始めた。根気よく投稿を続けるうちに興味を持つ人が現れると、ユキの人間離れした容姿は美しすぎる店員として話題になり、口コミが増えていった。しかもユキが山の天然水を凍らせて作った氷を削った氷菓には、ひと度口に入れるとミントとはまた違った不思議な清涼感があったため、味も評判になった。今では毎年訪れるリピーターも出来、ネットのニュースに取り上げられてからは新しい客も増えた。
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