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「認めるのは癪じゃが、静まり返っているよりは賑やかな方が好きじゃ。それにそちが買い与えてくれたスマートフォンとやら、これもなかなか酔狂で良い」
すっかり山の景色へと変わりつつある坂道を進みながら、ユキは巾着からスマートフォンを取り出す。側面のボタンを押してSNSのアイコンをタップすると、「雪女に逢えた!」と喜ぶ観光客の写真が表示された。
「いけませんよ、ながらスマホは」
「妾を小娘扱いするでないわ。この山は妾の棲み処、目を閉じていても歩ける場所ぞ。手元を見ていようと危険はあるまい」
「そういうところは意外とわがままですよね」
「人の子と妾では格が違うということじゃ」
背中越しに写真を見ていると、シゲミチにもこの夏のことが思い出された。今年最後に来た客は年端もいかない少女だった。両親に大人しく座ってなさいと咎められるのも構わず、カウンターでユキがガラスのボウルにかき氷機で粉雪を降らせる様をじっと見つめながら、「雪女なら雪を降らせるんじゃないの?」と尋ねた。そこでユキがほんの少しだけ指先の冷気から粉雪を降らせてみせると、少女は目を輝かせて拍手した。こういったことは時々やっているのだが、皆マジックだと思って受け入れている。動画が上がった時も、液体窒素を使っている、氷のような砂糖を振っているとコメントがつくため、怪しむ者はいないようだ。
「妾の冷気は命を凍てつかせ、口づけを与えれば魂まで凍らせる。妾の氷は僅かしか混ぜることはかなわぬが、よもや人の子を喜ばせるとは」
「口づけの話は伝承にもありますけど、受けた者は本当に魂まで凍ってしまうんですか?」
ユキが振り返り、音もなくシゲミチに接近する。鼻と鼻が触れ合いそうな距離まで近づくと、突然冬が訪れたような冷気が押し寄せ、息が詰まりそうになった。
「試してみるかえ?」
「え、えーっと……」
「ふっ、即座に断れ、うつけが。そちの優しさは美徳じゃが、優柔不断にまでなれば命取りになるぞ」
陽が沈み、冷えた山風が吹き抜ける。シゲミチは上着の襟元を引き寄せ、ふぅと指先に息を吐いた。
「人の子にはこの程度の冷気も堪えるか」
「すっかり体が夏の暑さに慣れてしまいましたから。雪女ならば寒さとは無縁なんでしょうね」
「体で感じるものはな」
「体では……?」
意味深な物言いにシゲミチは小首をかしげる。察したようにスマートフォンの画面を消し、ユキは空を仰いだ。
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