哀愁ジャック

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 疲れた。さっきから、ぐずぐずぐずぐずと、お菓子や抱っこをせがむ娘。眠くなってきたのだろう。気持ちはわかるが、荷物を積んだベビーカーを片手に押しながらの抱っこはもう限界だし、もうすぐお昼ご飯の時間だから、できれば今、お菓子を与えたくはない。  どうしたものかと頭を抱えながら何とか手を引いて歩いていると、突然、腰のあたりにある娘の目が、キラリ。  涙は止み、顔がパァっと晴れる。 「ママかぼた! オバケ!」  トテトテトテトテと、ハロウィーン関連の陳列棚に駆けて行く。  ほっ。 「そうだね、かぼちゃだね。こっちはオバケだね〜」  ジャック・オー・ランタンの形をしたカゴや被り物、オバケのガーランドやシールなど、大小様々な商品に目を輝かせながらニコニコとあっちこっち見て回る娘に、胸を撫で下ろす。コロッと機嫌が直ったみたいだ。  それにしても、もうハロウィーン? 早いなぁ。お兄ちゃんの夏休み、まだあと一週間あるけど。商品が並ぶのってこんなに早かったっけ? 年々早くなってるような気がしなくも…… 「ねぇママさん、早いと思いませんかぃ?」  うわ、びっくりした。他人に話しかけられるとは思わなかったので、ビクッと後ろを振り返る。  え? 誰もいない? え? 誰?  右、左、後方、前方、キョロキョロしてしまった。娘は私に見向きもせずに、オバケにガォ〜っと言っている。 「2ヶ月もぶら下がるの、飽きるんだよねぇ」  え? キョロキョロするが、私に話しかける人間はいない。他の買い物客は、各々のショッピングに夢中で私のことなど気にも留めていないようだ。 「おれおれ、こっち。ジャックよ。ほら頭に被る、アゴのとこにマジックテープのついたやつ」  え?? まさか、このカボチャの被り物が喋って……? 「まーだ8月半ばだぜぃ? ハロウィーン気分のヤツなんかいないだろ」  もう一度周りを見るが、どう見てもこれは、私にしか聞こえていない、カボチャの声のようだ。 「あぁ、まぁ、そうですよね。大変ですね」  恐る恐る、カボチャの被り物に小声で話しかける。周囲の人間は、ただ子連れの客として私を風景化しているようだ。 「今日、明日に、売れると思うか? おれが。いや、万が一おれが売れたとしても、こんなにもおれはいる訳で。狭いったらない」  棚の奥の方まで同じ形のカボチャがぎちぎちにぶら下がっている。これら全部をまとめて『おれ』なのだろうか。 「いやまぁ、今日明日の売れ行きはアレでしょうけど、でも。あなた方が並ぶことで、『あぁもう夏も終わりかぁ』なんて、我々としては感じたりしてるんですよ?」  なんで私が、このちょっと不貞腐れたカボチャをなだめなければならないのだろうという疑問は抱きつつ、娘もまだ遊んでいるので、その場に立つ以上、愛想よく会話を続けてみる。 「そう、かぃ?」  ちょっと嬉しそうな感じ。 「ええ。それに、今みたいに、娘もパッと機嫌が良くなりました。ほんとに助かります」  商品を壊さない程度に触らせてもらったり、あっちこっちもの珍しい商品を見せてもらって、楽しむ。ここで機嫌を取ればその後の行動がスムーズにいったりするものだ。大変ありがたい。 「そう、かねぇ?」  こちらのカボチャも機嫌を良くしたようだ。 「じゃあママさん、どうかね。そんなおれを一つ、買ってみるってなぁ」 「いや、買いはしないかな」  私にとっては全くの不要品だ。私はハロウィーンパーティー的なものを主導するようなタイプでもなければ、そもそも行事の意味もよく分かっていない。子どものイベントでやむなく仮装をさせる必要が迫った場合でも、魔女帽子とかドラキュラのサングラスとかを選びたいタイプ。そんな私が、2ヶ月も前からジャック・オー・ランタンの被り物を買うはずがない。かさばるし。 「……まぁいい。好みは人それぞれってもんだからよ。ところで、前任のタンク式水鉄砲のヤツから引き継いだんだけどよ」  ぴくりともしない、ただの商品のジャック・オー・ランタンから、哀愁を帯びた声が聞こえた。 「? はい」 「その、芽衣ちゃんってなぁ、2歳になるんだろ? イタ、イタタ」  芽衣がジャックを無邪気に引っ張る。 「あぁ、すいません。こら芽衣ちゃん、かぼちゃさんイタイイタイだからやめて。ええ、そうですよ。魔の2歳なんて言って、大変ですよ」  芽衣は注意をもろともせず、にししと笑ってパシパシ叩く。 「こら芽衣、商品だから大事に……」  芽衣の手を握って制すると、 「……いいってことよ」  ジャックはますます哀愁を帯びる。急に西部劇のヒーローみたいになって、どうしたというんだろうか。 「ママさん、いいじゃねぇか。可愛い盛りよ。芽衣ちゃんの成長、おれ達も見守ってるからよ」 「あら素敵。ありがとうございます。育児仲間が出来たみたいで、何だか嬉しいわ」  芽衣が今度は幽霊の被り物を引っ張る。伸ばす。慌てて制して、綺麗に戻す。目を離すと商品をダメにしてしまうかもしれないので、必死だ。 「だろう? ママさんも大変だろうが、一人じゃないってことよ。どうだぃ、おれをお宅に招き入れて、一緒に芽衣ちゃんの成長を……」 「いや、買わないかな」 「クソぅ! タンク式水鉄砲のヤツから聞いてた通りだ!! 芽衣ちゃんのママさんはテコでも動かんと! 夏休みの最初、どれだけお兄ちゃんが水鉄砲のヤツをせがんでも、『去年のバズーカ型のがあるでしょう』の一点張りだったそうじゃないか!」  芽衣の興味が、突然、近くを通った子のベビーカーに付いているアンパンマンに向いた。 「あ! あんまんまん!」 「あははは、知ってる? そうだよー」  優しいママさんが対応してくれる。 「すいません、そうだね、お友達いいの付けてるねぇ」  そこへ、お兄ちゃんも駆け戻ってきた。 「宿題の工作に使うガムテープ、これとこれ! 買って」 「ほんとにもー、今になって。もう夏休み終わるよ? いつも早く終わらせときなさいって言ってるのに」 「うん。だからこれがないと完成できないから、買って!」 「わかった。じゃ、レジ行ってくる。蓮、少し芽衣みててね」 「オッケー」  ガムテープの精算が終わって戻ると、蓮がジャックを頭に試着して、芽衣がキャッキャと笑っている。 「どうだぃ、おれがいるだけで兄妹こんなに平和なひとときが……」 「こら蓮、戻して! 買わないよ」 「はーい」 「…………」  芽衣が何とかベビーカーに乗ってくれたおかげで、帰路はスムーズになりそうだ。  あれ、そういえば私、誰かと話してたような……。ま、いっか。   「母ちゃん、そういえばバズーカの水鉄砲もう壊れそう!」 「そうなの? 壊れたら来年新しいの買うか。もう、売り場ハロウィーンになっちゃったから」 「うん!」  自動ドアを出ると、去る気のない暑さが私達をむわっとおそった。 〈完〉
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