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第三話 新雪を踏む
白銀が、熱を出した。
めずらしいこともある、と喜八は一人で学校への道を歩きながら思った。
喜八は、白銀しか友達がいない。
白銀がいればうるさいくらいだし、白銀がいれば他の人間も会話に混ざってくる。
だから、この日の学校での一日は、喜八にとっては非常に静かなものだった。
――白銀一人で、こんなに変わるのか。
孤独感はなかった。本を読んでいたからである。
江戸時代を舞台にした時代小説だが、本のカバーをしていなくても、気にとめる者はいない。
この学校の生徒は、基本縛られない。だから、個性が強い者が多く、他人に興味が湧かないのだ。
――まあ、たまにはいいか。
そうして、放課後を迎えた喜八は、
気づくと『翡翠館』の前に立っていた。
喜八は、自分の頬をバチンと手でたたいた。
そして、『翡翠館』に入っていった。
○
「あれ? 今日は一人?」
雪田が、不思議そうに喜八に向かって言った。
「そうですけど」
「めずらしいな。こっちも奈良先生がいなくて、ヒマだったんだよ」
喜八の心の弱い部分に、チクリとトゲが刺さった。
なんとか平静をよそおうとする。
「……新刊、あります?」
「あるけど、昨日見たでしょ?」
「……そうですね」
広い図書館内に、沈黙が降りる。
世界に、喜八と雪田しかいないようだ、と喜八は思った。
適当に本を読むことにする。
本棚に行くと、昔読もうとして挫折した、これまた時代小説が目に入った。
確か、花魁の話である。
借りづらいが、雪田には文学的趣味嗜好は筒抜けなので、えい、と本棚から引き出した。
読書席に座り、本を開いた。
喜八は、本が好きである。とくに時代小説を好む。
理由は、現実味がないからだった。
ファンタジーは、子どもくさい。だからといって、普通の恋愛小説を読むと、生臭い。
経済小説は、もとより意味がわからない。
時代小説は、喜八にとって、異世界をのぞく小説のようなものだった。
昔を舞台にした、しかし、文化も風習も違う、全くの別世界。
それが、喜八が時代小説を好む理由だった。
「おもしろい?」
突然声をかけられて、喜八はビクリと体を震わせた。
「ごめん、集中してた?」
雪田が、背後から、声をかけていた。
「いえ……。大丈夫です」
喜八は、なんとなく、本を閉じる。
「ああ、それ、話題になってたもんねえ。上下巻あるから、長いけど」
「雪田先輩」
「なに?」
「奈良先生と……、仲良いんですか」
「……どういう意味?」
喜八が二の句をつげないでいると、雪田が喜八の隣の席に座る。
「……見たの?」
「……すいません」
「恥ずかしいなあ」
特に感情のない声で、雪田はつぶやいた。
「いつも……、してるんですか」
「君とこういう話はなあ」
「子ども扱いしないでください」
「……ねえ、誤解してると思うけど」
雪田が、横目で喜八の顔を眺めながらつぶやいた。
「俺、奈良先生のこと、好きでもなんでもないから」
「じゃあ、なんで……」
「奈良先生からなんか絡んできてね、最初はセクハラ程度だったんだけど、ここ、人がいないもんだから、エスカレートしちゃったんだ」
「エスカレートって……」
そんな、簡単に。
「一番好きなのは、君だよ」
雪田が、喜八の肩に、触れようとした。
「汚いっ!!」
雪田は、伸ばそうとした手を止めた。
喜八は、そのままカバンをひっつかみ、翡翠館を後にした。
喜八は、そのまま駆けて家に帰った。
自分が泣いていることに気づいたのは、自分の部屋にたどり着いてからだった。
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