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第四話 共有
喜八は、あれから翡翠館に通っていなかった。白銀に不思議がられたが、特になにも言わないでいると、あきらめたように、普通に喜八と帰路を共にした。
「なあ、喜八、俺翡翠館の本一冊借りっぱなしだったわ」
「あっそ」
「翡翠館行こうぜ」
「一人で行け」
「……わかったよ」
白銀は、喜八が機嫌が悪いとかたくななことを知っていた。
だから、特に深追いしなかった。
翡翠館に、一人で向かう。赤茶色の建物は、なんだがチョコレートのようである。
そう考えると、食べ盛りの白銀は、腹が減ってきた。
――さっさと本を返して、家でなにか食べよう。
白銀は、そう考えながら、翡翠館の入り口を開けた。
とっさに、体を隠した。
「っふ、あ……」
明らかに、普通じゃない声。
白銀の目に映ったのは、本棚を背に、舌を絡める雪田と奈良だった。
――あいつら、公共の場所でなにしてやがる。
と、喜八が様子がおかしかった理由を理解する。
きっと、喜八も『これ』を見てしまったのだ。
そろそろと、白銀は近くのテーブルに本を置く。
そして、身を翻し、急いで翡翠館を出た。
――喜八、大丈夫かな。
こんな気持ち悪いもの見て、かわいそうに。
昔から、白銀は喜八を守ってきた、と思っている。
道にカエルが死んでいれば見るなと言い。
夏祭りの夜に男女がいやらしい事をしていればさりげなく気づかないよう、気を配っていた。
そんな純粋な喜八が、あんなものを見たら、さぞかしショックだろう。
小説と現実は違うのだ。
白銀は、そんなことを考えながら、先ほど見た光景を、忘れようとしていた。
頭にこびりついて離れなかった。
○
しばらくして、白銀は、久しぶりに喜八の家に遊びに来ていた。
エアコンのない白銀の家とは違い、喜八の部屋はまるで氷河期のように冷やされている。
一度、喜八が熱中症で倒れてから、喜八の両親は喜八が冷房を23度から上に上げることを許していなかった。
そのせいで喜八は真夏に長袖を着ている始末である。
白銀は、喜八の部屋が天国に思えた。
その喜八は、学校の宿題をしていた。白銀は喜八の漫画を借りて、1巻から読み、7巻に入ろうとしていた。幼なじみなので、今更協調性などいらなかった。
喜八が椅子に座ったままのびをした。
「あいたた」
と、じじいのような声を上げたので、白銀は吹き出した。
「大丈夫かよ」
「……しばらく休憩する」
「アイス持ってきてくれ」
「お前が行けよ……」
「この極楽からは出たくない」
「俺だって出たくねえよ」
最終的に、じゃんけんで喜八が負け、灼熱の廊下を通り、キッチンの冷蔵庫からアイスクリームを取り、また灼熱の廊下を通り、部屋に戻った。
なるほど、確かに自分の部屋は極楽だった。
「ほらよ」
喜八は腹いせに、白銀にアイスを投げつけた。
「ガキくせえ……」
白銀は器用にアイスを受け止め、食べ始めた。喜八も舌打ちをして、食べ始める。
アイスを二人は無言で食べた。それほどおいしかったからである。
「これ、どこのだ」
「親父が仕事先でもらったらしい」
「そうか……。これが金持ちの味か……」
「白銀には早かったな」
「お前にも千年早いわ」
軽口を言い合う二人。アイスはすぐに空になった。
「……喜八さ」
「なに」
「最近翡翠館避けてるよな」
「……別にいいだろ。本なんて読まなくても生きていけるし」
「お前が言うと信じらんねえセリフだな」
「……なにが言いたい」
「あの二人が翡翠館でなにしてんのか見ちまった」
「……俺も見た」
「信じらんねえ」
「なにが?」
「公共の場所で汚ねえことしてんのが」
「そっちか」
「喜八はなんなんだよ」
「……雪田先輩が奈良先生と仲良かったことかな」
「異常だけどな」
喜八は、黙り込んだ。
「喜八?」
白銀は、うつむいた喜八の顔をのぞきこんだ。
声を殺して、泣いていた。
「……なんで泣いてんの、お前」
「うっ、うう……」
「……」
白銀は、喜八が泣き止まないので、頭を軽くなでた。艶やか黒髪は、触っていて心地いい。
喜八はしばらく泣いて、涙を止めた。
「……好きだったんだ」
「誰を」
「雪田先輩のこと。ひとめぼれだった」
「マジかよ……」
「なのに、とられた」
「……」
「大人の人に、とられた」
「……喜八」
「なあ、白銀、俺、どうしたらいいと思う?」
「……さあ」
ぼろぼろと、また泣き出す喜八。
白銀は、子どものように泣く喜八をどうしたもんかと思ったが。
黙って、彼を抱きしめた。
守りたかった、と白銀は思った。
第一部 完
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