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第一部 図書館四重奏 第一話 かごの鳥
本州の、とある山奥に。
巨大な、施設がある。
初めて訪れた者は、
ショッピングモールかなにかかと、
勘違いする。
それぐらい、華やかである。
少しおかしいところと言えば。
女性が見当たらないことである。
見目麗しい少年たちが、
時に険しく、
時に楽しそうに、
時間を浪費しているのである。
そこは、女人禁制の男子校である。
その名は、
『私立海芸学院』
という。
○
「はよ、喜八(きはち)」
「……おはよう、白銀(しろがね)」
白い眼帯をした少年が、機嫌が悪そうに、あいさつの返事をした。
された方は、気にもとめずに、眼帯の少年と足並みをそろえる。
「しっかし、この頃天気わりーなあ。……まあ、梅雨じゃ仕方ないか」
「……自問自答は、お前の悪いくせだな」
「お前の悪いくせは低血圧だな」
「それはくせとは言わない、体質だ……」
二人とも、曇天の下を無言で歩く。靴音だけが、むやみに響く。
山の中の道である。人影はなく、代わりに熊が出そうだった。
「……なあ、放課後、図書館行くか?」
白銀が、眼帯の少年――喜八に向かって言う。喜八はおっくうそうに、
「……そうだな、放課後は特に予定がないし」
と答えた。この少年は、肯定するときも否定するときも、機嫌がいいことがない。
「俺たちヒマだよなあ。部活に入ればよかったんだけど」
「……今からでも、野球部に入れ」
「やだよ。なんで一番きつそうなの選ぶんだよ。ついでに言うと野球部ねえよ」
「……ないのか」
「うちにあんなきつい部活に耐えられるやつらなんかいねえよ」
「そうだな」
喜八は、額の汗をぬぐった。
喜八と白銀は実家から学校に通っているが、二人の通っている『私立海芸学院』は、全校生徒の七割が寮生だった。とんでもない山奥にあるからである。喜八たちが実家から通えているのは、田舎暮らしだからだった。
全国から、表向きは秀才達が集っている、と言われている男子校である。
しかし影では、男色好きな学長が、美少年ばかりを集めている頭の悪い高校だ、と言われていた。
それでも喜八たちが海芸学院を選んだのは、歩いて行けるから、という、単純な理由からだった。仮に噂が本当でも、自分たちには関係ないだろう、というのが、二人の見解だった。
……残念ながら、喜八も白銀も、部外者から見れば、十分美少年だったのだが。
放課後。喜八と白銀は、図書館へと向かった。
海芸学院の図書館はひとつの建物として独立しており、二人はあいかわらずの曇天の下を並んで歩いた。
この図書館を、翡翠(ひすい)館といい、名前だけは豪華だが、実際は赤レンガ作りの地味な建物だった。3階建てで、それなりの蔵書量を誇り、新刊がすぐに入る。
ここの図書館だけは、喜八は割と気に入っていた。
「あ、おっさん、またいる」
音楽教諭の奈良夢紀が、新聞を広げていた。この教師は、音楽教諭のくせに本と新聞をこよなく愛する活字中毒者だった。タバコが似合いそうな壮年の男だが、喜八たちは彼がタバコを吸っているところを見たことがなかった。
「おう、ガキ共か」
「名前覚えろよ、おっさん」
「お前こそ、先生と呼べ」
「やあ! いらっしゃい!」
華やかな声がした。喜八は非常に気が進まなかったが、声の主を見た。
2年の図書委員の雪田春雄が、糸目でにこやかに笑っていた。
髪はふわふわそうな猫っ毛の茶髪で、身長は男子にしてはやや低い。
しかし、喜八も白銀も雪田よりはまだ背が低かった。本人達は自分たちが発展途上なだけだと思っているが、未来は誰にもわからない。
「喜八くんが好きそうな本を頼んでおいたんだ。『五月雨心中』、好みだろ?」
「それ、職権乱用じゃねえの」
白銀が警戒心むき出しで喜八の前に立つ。雪田を目の前にする格好になる。
「別に、需要に応えるのは図書委員の使命だよ。本も読まれるなら本望さ」
「……次は『甘味処の名探偵』をお願いします」
ボソリと、喜八が言った。この図書委員は、喜八のリクエストは必ず叶えてくれる。
雪田は、顔をさらに輝かせると、
「わかった! すぐ仕入れるよ!」
と、パソコンになにやら入力していた。
「喜八、あんまり借り作らねえ方がいいぞ」
「借りじゃない。利用してるだけだ」
喜八が若干黒い顔をしていたので、白銀は少し引いた。
「雪田くん、『昼下がりに人妻と』も入れといて」
「セクハラで訴えますよ。青少年に有害な本はお断りします」
「冗談だよ。でも時代小説も割とやばいんじゃねえの」
「あれは芸術です」
喜八がボソリと言った。
「さすが喜八くん! わかってるなあ!」
「こうも俺と喜八とで態度が違うと、おじさん傷ついちゃう」
「勝手に墓でもいけよ、おっさん」
「ひどい……!」
奈良が、泣きマネをする。白銀は白い目でその茶番を見ていた。
「白銀、帰るぞ」
「え、俺なにも借りてねえぞ!」
「俺は借りた」
「じゃあその本後で貸せ!」
「また貸しはダメだよ」
雪田の図書委員としての注意は、1年の二人に届いたのかわからなかった。
翡翠館の利用者数は、元々少ない。
喜八や白銀など、本好きの生徒がいるにはいるが、少数派である。
夕闇が翡翠館にせまる。
本棚に、まだ若い手が置かれる。
「はあ、はあ、あ……」
その手に、いくぶんたくましい、男の手が重ねられ、指を絡められる。
「春雄……」
「ん、せんせ、い……」
雪田の白い肌に、奈良の舌が這う。
――夕闇の中、二人はいつまでも絡み合っていた。
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