【番外編・八神くんと名塚くんのスクールライフ】八神くんと名塚くんの記念日の話

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【八神くんと名塚くんの記念日の話】  名塚(なつか)(まこと)は、いわゆるお祭り人間で、基本的に騒がしい。その思考回路は自由かつ突飛で、付き合っている八神(やがみ)(とおる)にさえ到底理解できるものでは無い。  その名塚が珍しく、本当に珍しく静かに、放課後の教室で一人、机に突っ伏して寝ていたから。  窓からそよぐ風が前髪を優しく揺らし、普段はまともに見られない彼の顔立ちを露にしてくれたものだから。  教室の扉を開け、それを目にした八神は。 「………」  なんの躊躇いもなく、ごく自然に、その額に唇を落としていた。 「………えっ」 「………はっ?」  名塚は目を開けていた。顔も上げ、大きめの目をさらに大きくさせながら八神を見ている。当然、目が合う。  瞬間、八神は後ろに飛び退いていた。ひえ! と間抜けな叫び声をあげそうになった口を手で押さえながら。 「なっ、なん、おま、な……っ!」自分でも、顔が上気しているのがよくわかった。「お、おまえ起きてたのか!」  目だけでなく、口も開けた状態にも関わらず名塚は答えない。それがより一層、八神から平静さを奪う。 「おい、せめて何か言え!」 「いや……だって……とーる、いま、な」 「待て! やっぱり何も言うな!」 「いま……なに、して」 「言うなと言ってるだろーが!」 「ここ……」名塚が、額をそっと指先でなぞる。「ちゅー、した、よな?」  ばれていた。いや待て、名塚は短絡的だ、と八神は思い直す。まだギリギリごまかせるかもしれない。 「気のせいだ」八神は目を逸らした。 「いやいやいや、確かに感触あったって」 「気のせいだろ、おまえ寝てたんだから」 「まだ感触あるもん、ここ」 「そんなわけないだろ、あの一瞬で」 「あの?」 「あ」  しまった、と思った時にはもう後の祭りだ。  確信を得た名塚が、「そっかあ」とはにかんだような笑顔を見せた。「……徹からおれに、ねえ」 「皆まで言うな! バカ!」いたたまれなさのあまり、八神は感情的に叫んでいた。 「だ、大体! おまえが無防備すぎるのがいけないんだ! 誰もいない放課後の教室で寝るな、バカ!」 「や、おれが寝てるの見て無防備とか思うの徹くんだけだから」 「そんなわけあるか! もっと自覚しろバカ!」 「とーるから『バカ』しか出なくなった時ってテンパってる証拠だよな」  もう、何を言っても無駄だ。手近な机に片手をついて八神は項垂れた。なんてことだ、付き合ってるのは誰にも知られたくないのに。よりにもよって学校で。 「なーにそんなガックリ来ちゃってんのよ、徹くんは」  机の下で、名塚が足をぶらぶらさせているのが目に入る。「大丈夫だろ、誰も見てないって」 「それは結果論だろ……学校で理性をなくしてしまったこと自体が問題なんだ」 「疲れてたんじゃねーの? でこちゅーならセーフセーフ」 「セーフって……なに基準だよ……」 「おれ基準?」 「世界で一番当てにならん」 「それにおまえ最近勉強ばっかで全然おれと遊んでくんなかったじゃん。だからじゃね?」  確かに、最近勉強続きで疲れが溜まっていたのかもしれない、と八神は思った。睡眠不足は効率も悪くなるし、判断力の低下も招くとわかっていたはずなのに。  名塚は今もなお「おれ不足だよ、おれ不足」などと宣っている。認めたくないが、それもあるのかもしれない。  これからは勉強法を改めよう……。八神は内心で決意を新たにした。 「………でも」  これまでの軽い口調ではない名塚の声音に、八神は顔を上げた。 「これで、今日は記念日だな」  へへ、と名塚が屈託なく笑う。「徹から、初めておれにでこちゅーしてくれた日」  また始まった、と八神は顔に出さないように呆れた。  名塚には、こんな風にやたらと記念日を作りたがる癖があった。小学生や中学生の頃はそんなことなかったから、おそらく自分と付き合いだしてからのもの。  付き合った日、とか、初デートの日、とかそういう一般的なものなら八神もわかるが、とにかく名塚の設定は幅広い。悪く言えば節操がない。まともに受け止めてたらキリがないほどに。 「……そのネーミング、どうにかならないのか」と八神が小さく息を吐く。 「あ、しかも学校でじゃん! それも初! ダブル受賞だな、これ」 「式典があったとは」 「これはもう帰りにケーキ買うしかないな」 「食べたいだけだろ、おまえが」 「徹も食べるだろ?」 「甘いものは好きじゃない」  話題が逸れたことで少し冷静になれた自分がいた。密かに名塚に感謝しながら、八神はいつものように受け流す。 「おまえの話を全部真に受けてたら一年が記念日だらけになるだろうが」 「多けりゃ多いほどよくね? なにせ記念日だもの」 「……俺には関係ないな」 「とーるとおれの記念なのに?」 「そうは言うが、おまえ絶対覚えてないだろ。大体くだらないのが多すぎなんだよ、『徹からおはようって言った日』とか、『徹に消しゴム借りても嫌な顔されなかった日』とか、この間なんて『徹と行ってみたい飯屋を見つけた日』とか言ってただろ」 「だってうまそうな店見つけたんだもんよ。行ってみたいじゃん、徹と」 「せめて『その店に行った日』にしろよ」 「とか言いながら、なんだかんだ記念日覚えてくれてんだよな、徹って」  名塚は笑っていた。からかいの類いではなく、本当に嬉しそうに。  だから好きなんだよな、と。そう言わんばかりに。 「……いいから、さっさと帰るぞ」  鞄を担ぎ直し、八神は名塚に背を向けた。きっと自分は今、とんでもなく締りのない顔をしているに違いないから。他人は元より、名塚にも見せられないほどに。 「ケーキ買って、おれん家で食ってくだろ?」  自身の鞄を持って、名塚も立ち上がる。 「いやそれは」遅くなるし、と言おうとした声に、「なんてったって『初! とーるくんからおれにでこちゅーした日』だし♪」と重なる。 「わかったよ! ケーキでもなんでも買うし食うからもう言うな!」 「やーりぃ、おれチョコケーキ。いやフルーツタルトにすっかな、モンブランでもいいな」 「おい、奢らないからな」  あはは、と軽快に笑いながら、名塚が颯爽と八神を追い抜く。  名塚真は、いわゆる脳内お祭り人間で、基本騒がしく、そしてやたらと記念日を作りたがる。その思考回路は到底理解できない。  でも、そのひとつひとつを楽しみ、本当に嬉しそうにしてるから。  八神徹は、それでいいかと思えてしまうのだ。たとえ名塚がいくら記念日を増やそうが、自分には関係なくとも。  俺からすれば、と。  八神はなおも思いながら、名塚の後に続く。 「とーる? どしたん? 珍しく笑って」 「笑ってない」  俺からすれば、おまえとこうしていられる毎日が記念日みたいなものなのだから、と。
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