紅葉とともに

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紅葉とともに

 ――今日、やっぱ別で寝よう。  そう言って分かれたはずなのに。なんで?  朝の肌寒さはどこへやら。隣から伝わる体温は、布団よりもずっとあたたかい。  ん、と漏れた息が触れ、緩やかだった眠気が掻き消える。 「おい」 「……ん、おはよ。今日寒いね」 「俺言ったよな? 今日は別で寝ようって」 「もう今日じゃないよ」  ライトを点けなくても部屋の中は見える。カーテンの隙間からは柔らかな日差し。今が朝なのは時刻を確かめなくてもわかる。「今日」が終わってしまったことも。 「お前なぁ」  そんな屁理屈言われても、と理性を総動員して起きあがる。あっさりと体を起こせたことに違和感を覚え、思わず振り返ってしまった。 「どうかした?」 「いや、なんか」  続く言葉が出てこない。いつもと違う? 変? なんだろう、このスカスカした感覚。 「もしかして……寂しい?」  隣で眠った朝は、先に起きようとする相手を引き止め、布団に戻して邪魔をする。それがいつのまにか当たり前になっていた。だから、あっさり起き上がれてしまったことに違和感を覚えた……そういうこと、か? 「あー、もう」  寂しい。寂しかったのか。たったそれだけのことが。  ズルズルと体を沈ませ、布団に戻る。隣から腕は伸びてこない。今日は無理、と言った俺の気持ちを汲んでいるのだろう。 「……おいで」 「いいの?」 「もう『今日』じゃないから」  広げた腕の中、「そうだな」と答えた笑い声が胸をくすぐる。そんな小さな振動さえ閉じ込めておきたくて、ぎゅっと力を入れれば「優しくしてくれるんだよな?」と眉を寄せられた。 「あー……」  ――優しくできる気がしない。  自分で零した言葉を思い出す。十年前のことでも我慢できなくて。思わず電話に出てしまったけど、振り返ればもっといい対応があったのでは、と思わないでもない。いや、俺だって直接会わなければあんなことしなかったと思うけど。再会したからって、連絡取り合う必要なんてないだろう。……嫉妬か。嫉妬だな。  一方的に傷つけたことには怒りが湧いたし、面と向かって罵ってやりたいくらいだけど。でも、もしも普通に付き合っていたら、俺と出会うことはなかったのかもしれなくて。これでよかったのかもと思ってしまう自分もいる。 「おーい」  優しくしたいのに。傷つけたくなんてないのに。俺のだって刻み付けたくなる。自分で自分が抑えられなくなりそうでこわかった。 「返事は?」  じっと見つめられ、きゅっと胸が鳴る。もっと触れたい。本当は触れたかった。傷つけるためなんかじゃなくて。 「……善処します」  答えれば、さっきよりも笑い声が大きく響く。狭いベッドの中で溶け合う体温はどこまでも心地いい。隙間から差し込む光は緩やかで、胸の奥にいた嫌な自分が霞んでいく気がした。  優しくした結果、家事を全部引き受けることになった。優しさの結果なので仕方ない。いや、優しくできなかったからこうなったのか? 洗濯、掃除と目についたものから片付け、気づけばお昼を過ぎていた。そろそろ起こすか。ひとりベッドに戻った相手の顔を浮かべ、リビングと廊下を隔てるドアへと足を向ける。と、手を伸ばすより先にドアが開いた。 「おっと、おはよ」 「……おはよ」  掠れた声。重そうな瞼。跳ねた前髪に触れても、振り払われない。まだ夢を引きずっているらしい。 「いっぱい寝れた?」 「まあ」  少しずつ芯を含む声が、逸らされた視線が、じわりと滲み出る赤色が、同じことを思い出しているのだとわかってしまう。ほんの数時間前の出来事を。今さら照れることでもないはずなのに、くすぐったさが抜けないのは、この明るさのせいだろうか。 「なんか食べる?」 「とりあえず珈琲……あ」 「なに?」 「あれ、昨日買ったやつ。作って」  顔洗ってくる、と返事を待つことなく回れ右される。  なんか、なんだろう。躊躇いひとつなく「作って」と言われたことに笑いが零れる。風邪ひいた、と送れなくて「林檎買ってきて」と送ってきたことを思い出す。断られるのがこわいという臆病も、素直に伝える気恥ずかしさも、もうない。 「――まだまだ優しくしてやるか」  甘い匂いがキッチンから広がっていく。ふつふつと表面で気泡が穴を作るのを見つめる。どれくらいでひっくり返せばいいんだっけ。  ホットケーキを焼いたのなんて何年ぶりだろう。小学生のときは母親と作ることもあったけど。中学生になってからはしていないし、一人暮らしを始めてからは尚更で。 「小学生ぶりか……?」  生地をひっくり返しながら、昨日ホットケーキミックスを手に取っていた姿を思い出す。  文化祭のあと、距離を取ってしまった俺に「これ買っていい?」と聞いてきた。少し遠慮がちに、けれどどこか嬉しそうに。俺と同じ、子どもの頃の思い出にでも触れたのだろうと思った。家族の話は避けたままだけど。避けるだけではないものもあるのではないかと少し安心したのだ。 「聞いてもいいのかな」 「何を?」 「わっ、あ、お、おかえり?」  突然間近で返ってきた声に心臓が跳ね上がる。 「ただいま? って言うべき?」  フライパンの中で裏返された生地が美味しそうな色を見せる。 「あー、いや……何枚食べる?」 「とりあえず半分にわけて、食べきれなかったら冷凍でいいんじゃない?」  コーヒー淹れるな、とキッチンを出ていく背中を見送る。聞いてもよかったのかな。でも、なんて聞けばいいのか、すぐには浮かばなかった。
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