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渋谷甲太【2】
意図的ではないが、うっかりというわけでもなく終電を逃した。期待していたわけではないが黒須の「俺んち来る?」の一言にはすぐさま「あ、じゃあ」と返した。何かあってもなくてもいいや、という気持ちだった。スマートフォンに届いた彼女からのメッセージは見てみぬふりをしていたが、通話を求められたら面倒なので「疲れたのでもう帰って寝る」という旨の適当なメッセージを送っておいた。
タラタラ二十分程歩くと黒須の住むアパートに着いた。私立大学が近いために学生向けの手頃な家賃のアパートが多い場所だ。部屋に入ると黒須が小学生の頃に母親と住んでいたアパートと同じくらいの広さのキッチンが目に入った。そこで思い出した俺は口を開いた。
「そういや母親は?」
「県外」と黒須は答えて部屋の電気を点ける。「知らない男の人と住んでる」
それ以上は訊けなかった。黒須が脱いだコートを丸めて床に置いたので俺もそれに倣った。彼が電源を入れた外装が黄ばんだエアコンは、やたら大きい音を立てて温風を吐き出していた。布団も枕も黒で統一されたベッドに腰掛けた黒須が俺を見た。
「先にシャワー浴びる?」
「あ、じゃ、うん」
「適当に使って」
「うん」俺は頷いた。浴室に足を向けながら顔だけ黒須の方を見る。「クロス、まだ虫好き?」
「何言ってんの」
「ちょっと訊いときたかっただけ」
俺は黒須の答えを聞く前に浴室へ行った。
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