渋谷甲太【2】

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 嗅ぎ慣れないシャンプーの匂いを髪から漂わせながら風呂場を出た。少し酔いが醒めた。俺と入れ替わるように黒須が風呂場に向かう。俺は部屋を見渡した。ベッドとローテーブル、クッションしかないリビング。キッチンの冷蔵庫をそっと開けてみると食べかけの惣菜が発泡スチロールの容器に入ったまましまわれていた。俺は風呂場に向かって「ちょっと出る」と言ってアパートの近くにあるコンビニへ行った。部屋に戻る頃には黒須が風呂場から出ていて、耳が隠れるぐらいの長さの髪を拭いていた。俺の手元のビニール袋を見遣る。 「何買ってきたの」 「ドーナツ」 「は?なんで?」 「ちょっと思い出しちゃったから」と俺は中を開いて見せた。黒須は曖昧に「ふーん」と呟いてベッドに座った。 「今食べる?」 「明日の朝ごはんにする」  期待外れのような、思った通りのような回答。俺は「そう」と呟いてローテーブルに袋を置いた。黒須の隣に座るとシャンプーの香料とタバコの残り香の中に懐かしい匂いがした。体臭って子どもの頃と変わらないもんかな。無意識のうちに顔を近付けていたのか、黒須が少しだけ遠ざかった。表情を窺おうと目を動かすと黒須と目が合った。虹彩と瞳孔の境目のはっきりしない黒目。彼は口の端を少しだけ上げたが、目は笑っていない。匂い嗅いだの、多分バレた。 「シブヤは彼女いる?」 「いるよ。妹の同級生」
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