ケーブルカー

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 久幸(ひさゆき)は愛国山(あいこくやま)のふもとに住む少年。その山の頂上付近には愛国神社があり、毎年多くの参拝客がやってくる。正月3が日ともなると、より多くの人がやってくるという。そんな愛国神社へのアクセスはもっぱら車またはバスで、正月3が日は渋滞が発生するぐらいだ。だが、人々はそれに慣れていて、何にも感じないという。  久幸は友達の彰(あきら)と遊んでいた。この裏山は誰も人がいない。昔は何軒かの民家があったが、今は誰も住んでいないという。とてもさみしい場所だ。所々には廃墟があり、当時の賑わいが想像できる。だが、その賑わいを知る人は年々少なくなっているという。 「あそこに行ってみようよー!」 「うん!」  2人は楽しそうだ。今日は休日だ。思いっきり遊ぼう。宿題はほぼ済ませた。平日の学校の疲れを遊んでいやそう。  と、彰は何かに気づいた。どうやら行った事がある場所のようだ。だが、あまりよくわからない。 「ここ、行った事ある?」 「ううん。行った事ない。何があるのかわからない」  久幸はここに行った事がないようだ。何があるのか、とても楽しみだな。行ってみたいな。 「噂では、廃墟があるらしいよ」 「そうなの?」  久幸は驚いた。廃墟があるとは聞いているが、どんな廃墟があるんだろう。この目で早く確かめたいな。 「うん」  2人が歩いていくと、階段らしきものが見えた。その横には建物の跡がある。民家ではなく、何かの施設のようだ。もう何年も使われていないんだろう。その建物は所々が欠けていて、崩壊寸前に見える。 「これは?」  彰は目の前の建物に驚いた。何があったのか、全くわからない。先日見つけて、彰はびっくりしたという。いつ頃、何のために作られたんだろう。全くわからない。 「これが噂の廃墟?」 「うん」  久幸も呆然とした。いつの時代に、何のために使われたんだろう。全く予想できない。 「一体何だろう。近づいてみよう」 「うん」  と、久幸は階段の跡を見た時、何かを思い出した。これは、ケーブルカーの駅に似ている。 「これは、階段?」 「だろう」  久幸がもっとそこに近づくと、階段と階段の間にはレールと枕木が残っている。やはりここはケーブルカーの跡のようだ。 「レールがある。もう何年も使ってないんだろう。だとすると、ここはケーブルカーの駅の跡?」 「えっ!?」  彰は驚いた。まさか、ここにケーブルカーが走っていたとは。誰からも聞いた事がないし、学校で習った事もない。 「いや、先月、生駒山上遊園地に行ったんだけど、あそこのケーブルカーに乗ったんだ。その時に見たホームに似てるなと思って」  久幸はよく生駒山上遊園地に行った事がある。そのアクセスに使われているのが、生駒駅の横の鳥居前駅から出ている生駒ケーブルだ。まるでアトラクションのような外観のケーブルカーで、遊園地に行くワクワク感を倍増させる外観だ。 「そっか。じゃあ、これはケーブルカーの駅の跡?」 「かもしれない」  と、そこに1人の老人がやって来た。久幸の祖父、三郎だ。ずっと前からここに住んでいて、ここの事をよく知っている。 「どうした?」 「あっ、おじいちゃん」  久幸は驚いた。まさか、三郎がここに来るとは。どうしてここに来たんだろう。久幸は首をかしげた。 「ここって、ケーブルカーの駅の跡なのかなって」 「確かに、そうだよ。ここから、愛国寺へのケーブルカーが走ってたんだ」  確かにここはケーブルカーの跡のようだ。まさか、愛国山へ向かうケーブルカーがあったとは。でも、どうして廃線になったんだろう。あったら渋滞知らずで、便利なのに。 「へぇ。そうなんだ」 「だけど、戦時中に走らなくなって、それから再び走った事がないんだ」  愛国山に向かうケーブルカーは、昭和の初期に開通した。参拝客はケーブルカーの開通によって、早く愛国寺へ行く事ができるようになり、誰もが喜んだという。だが、太平洋戦争になると、ケーブルカーのほとんどは不要不急路線として休止に追い込まれ、河川中やレールの鉄は軍に供出された。この愛国山のケーブルカーも、不要不急路線に指定され、休止になった。そして、鉄は軍に供出されたという。戦後、愛国山のケーブルカーを復活させようとする動きがあったものの、復活には至らず、廃線となった。それ以後、この廃墟は80年近くここにたたずんでいる。 「そうなの?」 「わしは、そのケーブルカーに乗った事があるんだ」  三郎はそのケーブルカーに乗った事があるようだ。どんな景色だったんだろう。自分も見てみたかったな。だけど、もうとっくに廃止された。とても残念だ。 「そうなんだ」 「その先の山上駅の近くには、小さな遊園地もあったんだ」  2人は驚いた。まさか、山上の駅の近くに小さな遊園地があったとは。これもケーブルカー同様、なくなってしまったようだ。もったいないが、それが時代の流れだろうか? 「そんなものも? 信じられない!」 「いや、本当の話なんだよ」  とっても賑わっていたんだな。今とは全く想像ができない。 「そんな華やかな時代があったんだ」 「だけど、戦争になると、娯楽は失われ、ケーブルカーは休止になったんだ」  三郎は寂しそうだ。戦争中は娯楽は忘れ去られた。それも時代の流れだ。遅いケーブルカーは軍の鉄になった。だが、日本は戦争に負けた。だが、負けたのに、鉄は戻ってこなかった。 「どうして?」 「鉄を取るためさ。国のためなら、兵器のために鉄を取らなければならないんだ。戦後、ケーブルカーを復活させようという動きがあったんだけど、廃止になったんだ。そして、愛国寺への道ができ、そこに車やバスが走るようになったんだ」  三郎は、ケーブルカーの復活を願っていた人々の1人だ。何度も復活させようと運動を展開した。だが、モータリゼーションの影響で道路ができ、愛国山へのアクセスは道路に変わった。そして、ケーブルカーが復活することはなかったようだ。 「そうなんだ」 「いつも思うんだ。もし、今でもケーブルカーがあったら、愛国寺へ行くのが便利だったのにな。どうして復活しなかったんだろうって」 「うーん・・・」  2人は考えた。確かに便利だ。渋滞知らずで愛国山へ、そして愛国寺へ行ける。だけど、これが時代の流れだろうか? なんとも寂しいものだ。そして、負けたとはいえ、戦争のためなら、こんなものまで犠牲にする必要があったんだろうか?
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