闘いの晩夏

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闘いの晩夏

 格闘技を観戦したあとは、なんだか自分も強くなったような気になるから不思議だ。特に応援している選手が圧倒的勝利を収めたときはなおさらだ。今日だってそうだ。キックボクシング三階級覇者・夏川謙信は挑戦者・亀山幸喜を軽く退けての1ラウンドKO勝ち。顔には傷ひとつついていなかった。さすがは天才と呼ばれる男だ。  興奮冷めやらぬ俺は同行していた友人と居酒屋で夏川の凄さを語り合い、帰路に着いたのは深夜1時を回ったころだった。  友人と別れ、細い路地を千鳥足で進む。もうすぐ俺のアパートに着くというところで、数メートル先に誰かが立っているのが見えた。ふざけたことにそいつは黄色いクマのお面をつけている。  近寄りたくはなかったが、そこを通らなければ自宅には帰れないのでそちらに近づいていくと、不意にそいつが声をかけてきた。 「岡野秋広だな?」  男の声だ。誰だこいつ。そう思いつつも「ああ」と応じると、 「じゃあ、やろうぜ」  そいつはファイティングポーズをとった。  普段の俺ならそんな誘いに乗るわけがなかった。回れ右して警察に駆け込んでいたかもしれない。  だが今の俺は酔っていた。それに夏川謙信の試合を観たあとだ。おまけに俺には高校時代に少しだけ空手の経験があった。  やってやろうじゃないかと身構えたところで気がついた。いつの間にかクマのお面の背後に男が立っていた。もしやと思い振り返ると俺の数メートル後ろにも別の男が立っている。ギャラリーか。まさか通報されやしないだろうかと少し不安になるが、どうやら相手はそんなことにはお構いなしのようだ。  黄色いクマは俺との距離をじりじりと詰めてくる。負けじと俺もすり足で前へ進む。  だが……。  なにが起こったのかわからなかった。一瞬目の前が真っ白になったかと思ったら、すぐに漆黒の闇が俺を包みこんだ。  目が覚めると俺は電柱にもたれるようにして地べたに座っていた。それを一人の男が見下ろしている。さっき、俺の背後にいた男だ。彼は目の前にしゃがみこむと、 「大丈夫ですか?」  それには答えず、俺はぼんやりする頭をなでながら、 「負けたのか?」 「ええ。一発KOです」  男は長いため息をつきながら、 「思いませんか?ここ最近、夏は終わりのはずなのに、いつまでも暑い日が続くなと」
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