前編

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

前編

 時――。  それは、生きとし生けるものに唯一、平等に刻まれるモノである。  チク……タク……チク……タク――  カチャ……カチャ……カチャ……カチャ――  人類はこの『時』に、音を与えたに過ぎないのだ。  嬉しい時、悲しい時、悔しい時、泣きたい時――  どんな時も決して止まることはない。  立ち止まっていると感じている人も、確実に前へと進んでいる。  強く願っても、心から祈っても、巻き戻ることもない。  一瞬の「今」は、一瞬の内に「過去」へと名前を変え、通り過ぎていく。  過去は蓄積されていくが、今は留めておくことは出来ない。  だからこそ、人は前を向き、新しい未来を刻んでいく。  未来を迎えに行く。  あなたは知っていますか?  この世界が、どのように『時』を刻んでいるのかを。  あなたは知っていますか?  この世界には、『刻み人』と呼ばれるモノが存在していることを。  これは、「刻み人」である時任広人(ときとうひろと)が世界の仕組みを知った、とある一日の物語――。 ◆ 「将来なりたいものランキング」  ある一定の時期になると、様々なメディアで毎年のように取り上げられる。  会社員、公務員、医師、スポーツ選手、パティシエ、ITエンジニアなど、その年によって順位に変動はあるものの、ある程度、不動の地位を築いている職業も多い。  安定を求める人、夢を追い続ける人、人の役に立ちたいと願う人。  それぞれがどこかで互いを支え合い、この世界は回っている。 「職業」とは、どの立ち位置で世の中、そして人々と繋がりたいのかを示しているに過ぎないのかもしれない。  広人はスマートフォンで記事を読みながら、朝食のトーストを食べていた。  今日は広人の二十回目の誕生日だった。 「僕もそろそろ、就職について考えなきゃいけない時期だよな」  まるで他人事のように呟くと、次の一口を口へと運ぶ。  手元も見ずに噛みついたせいで、トーストの上に乗せていた目玉焼きの黄身が口とは反対方向から垂れた。 「おっとと……」  広人はテーブルに置いてあるティッシュに手を伸ばす。  垂れた黄身を綺麗に拭き取ると、スマートフォンが音を立てて振動する。 『午後七時 実家』  カレンダーに登録した予定を知らせる通知だった。 「そうだ、今日は父さんに呼ばれていたんだっけ。危ない、危ない」  口の中に詰め込んだトーストと、思い出した記憶を流し込むように、インスタントコーヒーを飲む。  コーヒーの粉が多かったのか、いつもより後味の苦みが強い。  味を確かめるように、口に少し含んでから飲み込むと、広人はマグカップを睨んでテーブルへと置いた。 「それにしても、誕生日とはいえ父さんから呼ばれるなんて珍しいよな。『どうしても空けろ』なんて――やっぱり世の中、二十歳は節目の年ってことなのか……」  考え事をしている間、一人暮らし、1Kの部屋は静寂に包まれる。  壁に掛けた時計の音だけが耳を優しく刺激していた。  広人は父親の顔を想像しながら、また一口、コーヒーを啜る。 「にっが……」  一瞬で現実世界へと舞い戻り、ふと時計を確認する。 「やっべ、今日は遅刻できないんだった。単位が――」  そう言って広人は残りのトーストを口に詰め込み、コーヒーを一気に飲み干した。 「にっげ」  何回同じことを繰り返すんだと思いながら、食器を流し台へと運ぶと、広人は急いで荷物を持って家を出た。 「広人、お前は将来何になるか決めてんのか?」  赤羽大地(あかばねだいち)は授業中にも関わらず、平然と話し掛けてくる。  大地は広人が大学に入学してから初めて出来た友人で、今も同じ授業を多く履修している。 「なに、大地もネットの『職業ランキング』でも見た?」 「なんだ、広人も見たのか」と大地は広人に自分が見ているスマートフォンの画面を向けた。  広人は無言で頷き返事をする。 「やっぱり会社員と公務員は毎年『堅い』よな。学生までは自由なら不安定でも良くて、社会人になったら縛られてでも安定を求めるのかね」 「あー、なんかわかる。そう考えると、社会人になったら時間が経つのも遅く感じそうだよな」 「え? それがそうなら逆なんじゃない?」 「里美! お前、いつの間に……」 「へっへ。大地に頼んで席だけ取っておいたのだ」  突然会話に割り込んできたのは真田里美(さなださとみ)。  大地の高校時代からの良き友人であり、恋人である。  広人は大地を通して仲良くなった。 「で? 何が逆だって?」 「時間の経ち方。自由にダラダラ過ごしていた方が、絶対に時間は長く感じるって」 「誰もダラダラとは言ってないけど……、まぁただ考え方は人それぞれでも、本当に同じ時間が流れているとは思えないのは事実なんだよな。里美だって、それは社会人の方が時間が早く過ぎてくって言ってるわけでしょ?」  里美は視線を上に向け考える素振りを見せた後、「まぁ確かに」と小さく頷いた。 「本当はさ、俺らが気付いていないだけで、大人と子どもで時間の早さって変わってるんじゃね?」  唐突に大地は言った。 「体感がってこと?」  広人は思わず大地に確認したが、大地は「いやいや」と首を振り、自分の腕に巻いている時計を指差した。 「本当の時間の速度。ほら、集中していると時計なんて見なくて、久しぶりに見ると自分の体感より時間が進んでるってことあるだろ? 実はその間、針の速度は早まっているんじゃね、ってことよ」  今朝も気が付けば出発の時間になっていた。  もしかすると大地の言う通り、時間の流れが変わっているのかもしれない。  そう思うとつい、「なるほど」という言葉が口を衝き、妙に納得してしまった。 「何が『なるほど』よ。大地のバカに付き合う必要なんてないよ? それに、そんなの確かめようもないじゃない」  里美の言葉に広人は再び「なるほど」と呟いたが、「今の『なるほど』は俺がバカって言うところか?」と睨みを利かしてきたので、口元を緩ませたまま、そのまま静かに授業へと戻った。  ――社会人になってからの時間の過ぎ方……か。せっかくだし今日、父さんに聞いてみよう。  そんなことを考えながら、今日も規則正しく時間は過ぎていくのだった。 「ただいま」  玄関には高そうな革靴が左右綺麗に揃って並べられている。  約束の三十分前に到着したが、時間に人一倍厳しい父は既に帰宅しているようだ。 「広人、おかえりなさい。もうお父さん帰ってきてるわよ」  母親の静江(しずえ)がリビングから顔を出し、笑顔で出迎える。  広人は笑顔で返事をすると、「やっぱりか」と思いながらリビングへと向かった。 「ただいま、父さん」 「おぉ、広人。呼び出してすまなかったな。誕生日おめでとう」  老眼鏡を目線より少し下げ、僅かに生まれた隙間から覗き込むように父親の(まもる)は言う。  守は海外出張が多く、広人が大学に入学してからは会う機会がほとんどなかった。  父との久々の再開に、広人はなぜか緊張した。 「ありがとう、父さん。もう帰って来てたんだね」 「十分程前にな。元気にしていたか?」 「まぁ、それなりに」  そう言って、広人は守に相対する形で席に着いた。 「到着早々で悪いんだが……、本題に入っても良いか?」  眼鏡を外すと、守の視線は一層鋭さを増す。  ――呼び出した理由は誕生日だからじゃなかったか。  そう思いながら、広人は静かに頷いた。 「広人、今日お前を呼んだのはな……、父さんの仕事について話すためだ」 「え、父さんの仕事って確か時計職人――だったよね?」  そんなことは知っている――と言いたかったが、含みを持たせた守の言い方に、広人は首を傾げながら次の言葉を待った。 「そう――伝えていたがな。正確には少し違う。広人、お前は『刻み人』という言葉を聞いたことはあるか?」 「刻み人……?」  初めて聞いた言葉に、広人はつい口に出して呟いていた。 「その表情を見るに――初めて聞いたということだな。無理もない、その辺の職業とは一線を画しているからな」  守の言っている意味がまるでわからず、広人は口をつぐんだ。 「あなた、そんなに意地悪を言わないで。知らなくて当然よ。むしろ、知っている人の方が少ないわ」  静江はそう言いながら、そっと温かいお茶を守と広人の前に置いた。 「母さんは知っていたの?」 「ごめんなさいね、今まで隠していて」  バツが悪そうな顔を見せてから、静江も席に着く。  広人は浮き足立った気持ちを落ち着かせるようにお茶を飲むと、ゆっくりと話し出す。 「父さん、『刻み人』って一体……?」  守はひじ掛けに置いていた腕を机の上で握ると、「良いか」と言って話し出す。 「『刻み人』っていうのはな――時間を前に進める仕事だ」 「時間を、前に進める?」  広人の言葉に守は頷いたが、広人は何一つとして理解することが出来なかった。 「父さん、ごめん。言っている意味がわからないんだけど」 「広人。私たちの生きているこの世界には時間、即ち『時』が存在する。それは太陽や月の位置などによって定められたとされているが、実際には違うんだ。私たち『刻み人』が『時』を管理し、この世に生を持つありとあらゆるモノに『時』を提供している。一秒にも満たない『時』を絶え間なく、平等に与えているんだ」  信じられないような話であったが、守の瞳は真剣そのものだった。  そもそも常に厳格な父親であることを知っている広人は、守が嘘を言っているとは思えなかった。  それでも、広人は守に問いかける。 「ちょ、ちょっと待って。流石にそれだけで『はい、そうですか』とはならないよ。父さんが嘘を言っているとは思わないけど、何か証拠というか、根拠というか……。それを証明できるモノはないの?」  広人にしては攻撃的な口調で言ったつもりだったが、まるでそう言われることは想定済みとでもいうように、眉一つ動かすことなく守は言った。 「それをこれから一緒に見てほしいんだ。お前を呼んだのも、その為だからな」  守は席を立ち、自分の後に付いてこいにと目で訴えてくる。  ふと静江に視線を送ると、「大丈夫」と背中を押すように、優しく微笑んでいた。  広人は一つ息をついてからゆっくり立ち上がり、守の後を追った。  守は玄関に並べてあった革靴に足を入れると、下駄箱の上に置いてある車の鍵を手に取り、広人に向かって軽く振った。 「車で行くぞ」ということなのだろう。  広人も急いで靴を履き、家を出た。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!