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 廊下の電灯が間接照明に切り替わる。これがこの世界の夜だった。いや、本物の夜はちゃんと外側にまだ存在していると思うが、それを確かめる術はモニタ越しの観察か、データによる分析しかない。その作業は晴樹の仕事ではない。  第二区画に向かいながら、晴樹は端末でスケジュールを確認していた。今日を終えたらこの部署で一番忙しない時間がやってくる。「季節替え」だ。    外が汚染されて五十年余り。残った人類はそれぞれの国が用意したシェルターで暮らしている。多くは地下に建設されたと聞いているが、外の世界を知らない晴樹はここが本当に地下なのかどうか、それを確かめる術もない。  空気、水、酸素、光、温度や湿度の管理から何もかも、全てが人工的にやらなければならない。だから当初は誰もシェルターに季節が必要だなんて言い出さなかった。しかしここシェルターJの要人たちは季節のない世界でなんて暮らせないと言い出し、結局半ば強引に季節をシェルターへと持ち込んだ。  その結果生まれたのが晴樹たちが務める部署、気象庁の外局機関として置かれた季節管理局だ。配置換えされてここにやってきたのが三年前になる。仕事の大半は人工季節を生み出している各装置がきちんと稼働しているかどうかの確認と監視作業で、忙しい訳ではない。他の部署に比べれば暇な方だろう。    ただしそんな閑職的なところであっても、今夜から明け方にかけての数時間は激務と言ってよかった。「季節替え」と呼ばれる四季の入れ替え作業は零時きっちりから始められる。夏を演出していた人工植物たちをすべて撤去し、代わりに秋の人工植物へと切り替える。植物だけでなく、動物や虫もそうだ。スズムシやマツムシ、キリギリスにコウロギなどの人工虫を公園や歩道脇の茂みに配置する。ホタルは川や水場の傍に放ち、夜になれば発光して点滅を繰り返す。彼らはあくまで季節を演出するためのもので他の虫を捕食したりはしないし、人間に害を及ぼすことはない。動くオブジェと言っていい。ヒヨドリにツグミ、カワセミといった小鳥たちもそうだ。モズだって決して他の生き物を殺しはしない。  どれもが安全な、ただ季節を感じるためだけに配置されるオブジェでしかない。  それは撤去されるセミやカブトムシたちも同じだ。コマドリやブッポウソウたちも山に帰る訳ではなく、ただ機能を停止し、回収され、倉庫に追いやられる。  その現実を情緒がないとは誰も言わない。  ただ晴樹は自然の意味を少し考えてしまうだけだ。 「あ、すみません。遅れました」  既に第二公園の一画には季節管理局に勤務する十名ほどが集まっていた。流石に全員がこの場にいる訳ではないが、みんなこの「終わりの会」を楽しみにしているだけあって、出席率は高い。当然その中に神宮寺アヤメの姿もあった。しかし彼女は制服姿ではない。浴衣だ。青地に黄色い花が咲いている。あれはヒマワリだろう。ただ描かれているのは大きなものではなく、小さな花輪がコスモスのようにいくつも見える。 「お、珍しいな。新山が来るなんて」  転属のタイミングが同じだった石橋は既に顔が真っ赤で、アルコールが十分に回っていることが想像できた。 「たまには参加するよ」 「わーってるわーってるって……お前の目当てがいるもんなあ」  その石橋の笑みに満ちた視線は晴樹から神宮寺へと向けられる。だから慌てて自分の視線を彼女から外したが、小さな笑い声が聞こえたのは手遅れだった証拠だろう。 「それではみんな揃ったところで夏の終わりの会を始めたいと思います。まずは最初の一発を」  局長の所沢の号令で打ち上げ花火が数発上がる。着火から発射までは三秒ほどで、一瞬だけ空気を震わせるポンという音に続いて夜空が明るく照らされる。花火の形は円ではなく花形だったり、星型だったりした。  でもこれも本物の花火ではない。音と振動、それに光を組み合わせた人工物だ。施設内で本物の花器を使う訳にはいかないので仕方ない。仮にこれが本物だったら火薬の臭いが感じられただろう。どれもよく作られた人工物だけれど、やはり本物とは違う。  それでもシェルター世代である晴樹たちにとっては、今目の前に提供されている人工物とかつてあった本物との差は分からない。何ならその人工物こそが晴樹たちにとっての本物かも知れなかった。    その後も何人かのスタッフが花火を打ち上げたり、仕掛け花火を見せてくれたりした。それと並行して浴衣や甚兵衛を着た他のスタッフが夜店の屋台で焼きそばやりんご飴を提供してくれた。  当然それらもこの場で調理したものではない。焼きそばを焼いている鉄板は温めるだけの電気調理器だし、フランクフルトやたこ焼きも電子レンジで温め直すだけだ。  それでも充分夏まつりの空気は味わえるし、何より神宮寺アヤメが浴衣姿でりんご飴を頬張る姿を見られるだけで、晴樹は無理をしてここに足を運んだ甲斐があったと思った。 「あ、それ一つもらえる?」 「え? でも楊枝が一つしか」 「気にしないから」  隣にやってきた神宮寺はそう言うと、晴樹が持っていたたこ焼きの舟皿から彼が一つ食べた後に突き刺した一つをつまみ、口に運ぶ。暗い中でもよく目立つ赤い唇がぱくりとそれを咥えると、美味しそうに飲み込んだ後で僅かに青のりが付着した。けれど彼女は気にせず、 「案外美味しいわね」  もう一つ口に入れ、それから「ありがとう」と爪楊枝を残りのたこ焼きに突き刺し、別の人たちの輪へと足を向けた。
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