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雑学
今日、この部署に新人が来る。ちょっと変わった経歴を持っているらしいが、一体どんな奴なのか。期待というほどではないが、気にはなっていた。
始業時刻になり、朝礼でそいつは現れた。歳は30くらいだろうか。少し背が高くて、服装はピシっとしている。
「初めまして。鹿児島県志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所渋々志望で、本日よりこちらに配属となりました。コーケツユヅルです」
何か「シブ」多くなかったか?
「鹿児島県志布志市志布志町志布志に来てまだ日が浅いので、この町のことをもっとよく知っていきたいと思います。よろしくお願いします」
何回、志布志言うんだこいつ。特徴的な名前だけども。
しっかり礼をして、上司が彼の席を指し示した。教育係となる俺の隣だ。やる気に満ちているようだから、教育のし甲斐は有りそう。
「田中一といいます。今日からよろしく」
着席した新人のコーケツに俺は挨拶をした。さて、こいつにお役所仕事を色々叩き込んでいかないとな。
コーケツは公務員になったのも最近の事らしい。教育は基本的な事から始まったが、覚えは良い方だから大丈夫だろう。
昼休み、俺はコーケツの経歴やらが気になって、彼に尋ねた。
「コーケツくんさあ、名前もカタカナなんだね。漢字は?」
「有りますけど、めんどくさいんで手書きはいつもカタカナです」
「……漢字でなんて書くの?」
コーケツはやはりめんどくさそうに付箋とペンを取り出して書き始めた。
めんどくさい名前というほどの名前はいかほどのものなのか。まさか寿限無やピカソたいな名前じゃあるまいし、コーケツユヅルなら漢字の文字数も知れているだろう。めんどくさいといえば、この市役所支部の名前もそうだ。鹿児島県志布志市志布志町志布志の志布志市役所志布志支所なんて、必殺ゲシュタルト崩壊を食らうような志布志の連続性だ。手書きなんてしたら、どこまで書いたか分からなくなってしまう。まあ、バンコクほど長ったらしいわけじゃないし、志の高さは勘弁してほしいほど伝わってくるから、俺は嫌いじゃないけど。
コーケツはまだ記名している。いつまで書いてんだ?
「やっと書けました」
コーケツは付箋を俺に渡した。何やら黒い塊が4つ並んでいる。なぜこんな小さな紙に書いたのか。拡大鏡も一緒に寄越してほしい。
「『優』しか見たことないんだが」
「『絞』る『頁』、『結』ぶ『頁』、『優』しい『雨』と『鶴』で纐纈優靏です」
「最早『優』が優しく見えてくる。どうして鶴に雨を乗っけたんだ?」
「総画数88画。画数は『林檎』3.7個分です」
「キティちゃんか」
「あんな簡素な名前のキャラ、僕の足元にも及びませんよ」
「どこでマウント取ってんだよ」
纐纈はちょっとドヤ顔していた。
「寿限無みたいな長いのじゃなくて、こういう画数多い系の強い名前もあるんだな」
「寿限無寿限無五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末雲来末風来末 食う寝るところに住むところやぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポパイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの長久命の長助ですか?」
「言わなくていいんだよ」
「これくらいは言えますよ」
「ピカソとかもっと長かったもんな」
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ホアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソですね」
「言えるのかよ」
「これに比べりゃあ4文字なんて易い方っすね」
「まあな。そんだけめんどくさい名前なら、志布志にも親近感湧いたんじゃないの?」
「そうっすね。バンコクほどじゃないっすけど」
「……まさか正式名称言えんのか?」
「はい。クルンテープ・マハーナコーンです」
「あれ? 割と短いな」
「儀式的正式名称はもっと長くて、クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・マハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシットです。意味は、帝釈天がヴィシュヴァカルマン神に命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、最高・偉大な地、帝釈天の戦争のない平和な、帝釈天の不滅の宝石のような、天使の大都ですね」
纐纈はただ坦々と呼称を続けていた。神聖な正式名称はなんだか呪文のようだ。ちゃんと言霊を込めたら、童話の樵の泉みたく床から神様か悪魔でもにゅっと現れ出てきそうだ。
「その脳のリソース、他に使ったらどうだ?」
「覚えちゃったもんは仕方ないっす」
「なんでそんなの覚えてんの?」
「僕、これまで各地を転々としてきたんですけど、長ったらしい名前の所ばかりで、外国に比べればマシなんだって、これで自分を納得させてきました」
「対処療法が荒療治だなあ」
「それもあって移動時間も長いんで、暇つぶしに覚えたりなんかもして」
「纐纈って苗字も珍しいよね」
「東海地方には少なくないっすよ」
「東海地方の出身なのか?」
「はい。まあ、ここに来るまでに色々ありまして」
彼は弁当を食べ終えて、ここに来るまでの経緯を話し始めた。
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