次の夏までおやすみ

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 女性ならば、街中で異性からの視線にさらされるという経験は、程度の個人差こそあれど、そこまでは珍しいことでは無いだろう。  (まゆずみ)美香(みか)にとってもそれは当てはまるし、また彼女は普通の人よりもそういった経験は多いだろうという自負があった。無論、そんなことを周囲に喧伝したりはしないにしても、美香は己の容姿には自信があったし、それを保つための時間とお金を人並み以上につぎ込んでいるつもりだった。  だから彼女は、異性からの視線というものは、そんな己の自信を裏付けるためのものと前向きに捉えていた。 (いや、それにしたってこれはいくら何でも……)  そんな考え方の美香をもってしても、今、自分の置かれている状況には心の中でため息をつかざるを得なかった。  明日までの社会心理学の講義のレポートを終わらせるために、彼女は実家から徒歩圏内の喫茶店を訪れていた。提出期限ギリギリまで取り掛かることを怠っていた自分に文句を言いながらも、はじめ、作業は順調だった。軽快にキーボードの音を鳴らす美香の手が止まったのは。空席だったはずの向かいの席に一人の男性が座ってからだった。  彼は着席してからというもの、机上のホットーコーヒーには口をつけずに、明らかに美香に向かって視線を送っていた。それも、時折こちらに視線を送るのではなくマジマジとこちらを見つめている。  はじめは気のせいかと考えたが、パソコンの画面に集中しているふりをしながらちらちらと瞳だけを動かすと、常に彼の視線はこちらに向けられていた。 (いや、流石に見すぎだって……)  と、再度心の中でため息交じりに呟く。  少なくとも、美香にとって男は見ず知らずの他人のはずだった。年はおそらく美香とそうは離れていないだろう。同じ大学生か、あるいは若く見える社会人かもしれない。空色のYシャツにジーンズというシンプルな恰好なのは、彼女の好みであった。男性にしては髪が少し長かったが、無造作に伸びているというわけでは無くきれいに整えられている印象。 (ナンパだとして、まあ容姿は無しではないかな)  と判定を下したが、しかしいくら何でもこんな露骨に視線を送ってくるような奴は、常識を疑う……よって無理。 集中力も途切れてしまったので、レポートの残りは自宅で行おうと、パソコンの電源を落とそうとした、その瞬間だった。
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