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頭の奥のほうから、あの音が響き始める。
はじめは小さく、そして瞬く間にクレッシェンド。
頭蓋骨の中で、暴れるように鳴り響く。
リン、リン、リンリン、リーン、リーン、リン――
一定の周期で鳴り響くその音は、時折ふいに頭の中鳴り響ききだし、美香を苦しめる悩みの種であった。
目を閉じ、その音から意識を逸らそうとゆっくり深呼吸をする。
脳内で避けんばかりに響くその音が、五分程我慢すれば次第に薄れていきやがて収まることを彼女は知っていた。
(たぶん、もうそろそろ……)
より強くギュッと瞳に力を入れたところで、少しずつ音は小さくなっていく。
脳外科、耳鼻科に心療内科。いくつかの病院を受診して、何種類かの薬を処方されたが、物心ついた時から今まで、その音が鳴りやむことは無かった。
音が響くのは決まって夏の終わり。
季節性のものか、あるいは気圧の影響か。
原因は分からないが、一年の間の一時期のことだし、少し待てば収まるから、と美香は半ば諦め気味にこの音の存在を受け入れていた。
ようやく音が完全に鳴りやんだところで、美香は今度こそ席を立とうと目を開く。
「……っえ、な、え?」
目の前の光景に思わず記号のような意味の無い声が出て、しかしその後は二の句がつげず、美香は絶句したまま驚きのあまりに目を見開いていた。
つい先ほどまで、向かいの席からこちらに視線を送っていた男性が、いつの間にか美香と同じテーブルの向かい側の椅子に着席していた。
「はじめまして、突然申し訳ないんだけど、僕、こういう者です」
困惑する美香とは対照的に、男は涼しい顔でそう言いながら、胸ポケットから取り出した一枚の紙きれをテーブルの上に置く。
名刺、のようだ。
中央に『笠 明』という名前と、その上に『入眠導入師』という聞いたことのない肩書き。後は携帯電話の番号が記されている。
(いや、キモイキモイ、キモイ。え? いや、なんでこいつ、いきなり目の前に座ってんの? というか、なに、入眠導入師って? 聞いたことないし、とりあえずキモイ)
名刺に視線を落としながらも、美香の思考は困惑と嫌悪感に溢れていた。
「先ほどから、あなたのこと見ていたんですけどね。少し、伺いたいことがあって」
警察に連絡したほうがいいか? いや、まずはお店の人に助けを乞うのが先か?
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