0人が本棚に入れています
本棚に追加
「ああ、大丈夫です。お代はもらってないので。これは、あくまで僕が趣味でやっていることなので」
怪しい。余計に怪しい。
だって聞いたことがない。
趣味が入眠導入だなんて。
いや、入眠導入がそもそも何なのかすらも理解していないわけなのだけど。
心理学の講義で、別途にクライアントを仰向けに横たわらせ。枕元の椅子に座ったカウンセラーと会話をしていく心理商法があったことを思い出す。
もし入眠導入なるものがそれに類する方法をとるのならば、笠を家、もっと言うと自分の寝室に招かなければいけないことになる。
この時間なら買い物に出かけていなければ母は家にいるはずだったし、少なくとも祖父母は家にいるだろう。
笠はカバンの類のものは持ってはいなかったが、ポケットにナイフを忍ばせているかもしれない。そうでなくても私と祖父母だけであれば、腕力だけでも男の笠には敵わないだろう。
まだ実家までは少し、距離がある。
「あの、やっぱり――」
「大丈夫ですよ」
美香の言葉を遮り、笠が足を止めてこちらを振り返る。
「僕を信じてください。僕はただ、あなたをその音から解放させてあげたいだけです」
あまりにまっすぐにこちらを直視するものだから、思わず首を縦に振ってしまった。
出会ったばかりだけれど、不思議な人だと思う。
なぜだろう?
彼からは噓を言っているような気配が微塵も見えなかった。
「分かりました、こっちです」
覚悟を決め、今度は美香が先導するような形で歩みを進める。
美香の実家はこの辺りにはあまり多くは無い一軒家で、そこまで広いものではないが庭と小さな畑、そして敷地内には家と別に二階建ての蔵もある。祖父の代まで反物屋を営んでおり、蔵に反物を保管していたらしい。尤も反物屋は祖父の代で閉業し、父はサラリーマンとして会社勤め。蔵は普段あまり使わないものや、祖父母の趣味の畑作業で使う用具を置く物置とかしている。
「ここです」
門の前で美香は足を止め、笠に告げる。
「ほう、なかなか立派な家ですね」
と、笠は感嘆の声を漏らした。
「少し待っていてください。家族に、話してきます、……入眠導入師とか言っても怪しまれるので、大学の友達を連れてきたってことにするので」
「あ、大丈夫です」
笠の声に美香は一歩踏み出した歩みを止めた。
「用事があるのは、こっちですから」
そう行って、笠は母屋の向かいにある蔵のほうを指さした。
最初のコメントを投稿しよう!