真夏の鯉のぼり

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 100を間近に迎えての大往生だ。  病院はおろか介護保険すら利用することもなく最後まで自分の力で逞しく、美しく生きた。  家族だけでなく村の皆さんにまで惜しまれながら送られた。  祖母は、最後の最後まで毎年、鯉のぼりを上げ続けた。  祖母の四十九日法要を終えると母は実家を売りに出す私たちに言った。  誰も住む人がいない家を持ってもしょうがないから、と。    父も、妹も賛成した。  私だけが反対した。 「なら私が住むわ!」    私は、自分でもびっくりするくらいの大声で言った。  母も、父も、妹も驚く。  そして反対のオンパレード。  家庭と仕事はどうするんだ⁉︎  お前が家の責任を負う必要がない!  都会育ちのお前に田舎暮らしが耐えられる訳がない!  しかし、私の決心は揺るがなかった。  幸にして子供たちは独立し、もう私の手を離れていた。  旦那も在宅ワークが定着してきていたので、余生を田舎で過ごすのも悪くないかと快く了承してくれた。    そして何よりも祖母のやってきたことを無くしたくなかった。
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