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 夕飯が済むと、柴本は早々に自分の部屋へと引き返していった。  昼間の試験で疲れた? リビングのソファに座ってテレビのリモコンを操作しながら問うと 「ちょっと用事を思い出してな」  そんなことを言いながら階段を上っていった。  合格の話、眞壁さんにも伝えなきゃ。この家で暮らし始めて以来、地球の裏側から帰ってくる気配のない家主から仰せつかった役目がある。早めに取りかかろう。ひとまず、お風呂に入りながら文面を考えようかな。  風呂から上がり、髪をタオルで拭いながら階段を上る。用事がどうとか言っていたけれど、疲れているだろうから早めに休んだほうが良いだろう。冷めたお湯を追い()きする燃料代もバカにならない。  お風呂あいたよー。部屋の扉をノックしながら声をかけるが返事がない。食事のときにかなり飲んでいたから、酔いつぶれて寝ているのかもしれない。  寝ちゃった? ふたたび扉越しに声をかけると、少しだけ間を置いて 「入って来いよ。聞きたいことがあるんだ」(はな)をすする音とともに声が返ってきた。  ドアを開けて入ると、部屋の主は泣き腫らしたように真っ赤な目をこちらに向いた。念願の資格証についた醤油のシミがよほど悔しいか、さもなくば端末で映画かドラマでも見ていたのかと思ったが、どちらでもなさそうだ。  この男の涙腺が大洪水を起こしやすいことは、今までの生活でよく分かっている。 『全米が泣いた』というキャッチコピーで、けれどもどこに泣き所があるのか分からない映画でも、横を向くとボロボロ泣いていたりする。映画そのものより同居人を観察する方が面白いことは割とよくあるので困る。  ひとまず話を聞くために隣に座る。いつもならば当然の権利のように赤毛の毛並みに覆われた頭をわたしの膝の上に乗せにくる筈だ。けれども今回はその素振(そぶ)りすらない。  どうしたの? と、わたしが問うと、柴本は目の前にあるローテーブルに顔を向けた。紙製の箱が置かれている。中にはメラミンスポンジを小さく切ったような白い立方体が二五個。さっき話に聞いた臭紋キューブか。  これは? 柴本は(はな)をすすりながら話し始めた。  実技試験の六問目、痲薬探知を想定した問題のキューブだった。  今はもういない大事な誰かについて、出題者が匂いで刻んだ記憶。出会い/愛を育み/すれ違い―てんらくするような生活の中で麻薬に溺れ/やがて命を失うまで。その細密な情報が二五個のキューブに分割されて収められていたと同居人は読み取り――もとい嗅ぎ取った。 「そういう悲しい話かなと思ったんだけどよ。一緒にこんなモンが入ってたんだ」 『事実のみを嗅ぎ分けよ』手にしたメモ紙には、クセの強い走り書きがなされていた。
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