あす、夏に会いましょう

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 「最近さ、ハマってんだわ。タイムリープものの映画とか小説」  窓に映る空が暗くなり始めた頃。近所の塾で開催されている夏期講習の休憩時間に、突然ひとりの男子生徒がそんなことを口にした。  「俺は断然ホラーの方が好きだけど」  「え、あたし絶対無理! 恋愛系とかよくない? それか感動系! ヒロインが記憶喪失とか、病気とかさ」  「僕はファンタジーとかSFものがいいかなぁ」  「タイムリープってファンタジーなんじゃねぇの?」  「さぁ? 知らない。ていうか突然どうしたの」  騒がしくなりそうな予感がして、惰性で握っていたシャーペンを机の上に放り出し、間食用に持ってきていたグミの袋を開ける。恋愛系やら感動系やらが好きだと話していた女の子からの視線を感じたので、袋の口を向けてやったら、花が開くような笑顔でお礼を言われて少し戸惑った。  「いや、みんなさ。過去か未来、行くならどっちよ」  「……なるほど。つまり現実逃避ってわけか」  「え、どういうこと?」  「勉強したくないからそんなこと考えてるんでしょ」  教室中の興味がはらはらと散らばっていくのを感じる。事実私も、今は口の中に広がる甘酸っぱいぶどうの味を楽しむことに精一杯で、なにやら面白い話が聞けるかもしれないという期待を抱いていたのも相まって、なんだかすっかり落胆してしまっていた。  「や、そうだけど! そうなんだけど! せっかく先生もいないんだし、今こそこういうくだらない話しようぜ〜。どうせこの夏勉強漬けなんだしさぁ」  「まぁ、それは一理あるかもだけど」  「な? よし、じゃあ黒井さん! 過去と未来、行くならどっち?!」  「……え」  まさか、それも一番に指名が飛んでくるなんて思わなくて、たっぷりしっかり動揺してしまう。集まり始めた興味が一身に私に向いていた。ひとまず口の中に取り残されたままのグミを咀嚼してゆっくり飲み込んで、私を指名した彼のシャツの襟辺りに視線を移した。  「……過去、かな」  「おぉ! なんで?!」  「うーん……失敗とか、後悔とか、そういうの無かったことに出来たら、もっといい人生を送れるかなと思って……」  「あ、僕も一緒。おんなじ理由で過去がいい」  「え! あたし未来!」  「俺も!」  「なんで?」  「だって共通テストの問題丸暗記して今に戻ってくれば、絶対合格できんじゃん」  「は、ズル!」  会話の矛先は縦横無尽に私達の間を駆け抜けていって、それに少し安堵を覚えてまたグミを口に入れた。同じく過去に行きたがっていた男の子の視線も感じたので、またひとつ分けてあげた。  「あ〜、勉強したくねぇなぁ。もっと自由に生きていきてぇ」  事の発端の男子生徒が、怠そうに机に身を預けながら独り言のように呟いた。返答を求められている気がしなくて、だからか誰も何も言わなかったけれど、たぶん、みんながそう思っていた。
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