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集合場所は、いつも決まって海だった。たまに近くを散歩して適当なお店に入ることもあったけれど、基本的に定位置は大体そこだった。
美空ちゃんとは色んな話をした。それこそくだらないことも多かったけれど、美空ちゃんの人となりが見えてくるたび、払拭できない違和感がこびりついた汚れのように脳内に居座りはじめ、どんどん無視できないくらいにまで肥大していった。
彼女は普通だった。普通だったけれど、それと同じくらい可笑しかった。
そもそも根本的に違っていた。というよりむしろ合っているのは、お互いの名前と、呼び方と、話し方くらいのものだった。
私達は同い年で、だからこそ噛み合わなければならない部分が沢山あった。たとえ進学はしなくとも勉強や進路の話は自然とヒートアップするものだろうし、高校生としては最低限の常識とか、はたまた子供の頃の懐かしい流行りとか、そもそもこの現代社会においての認識とか。とにかく、そういったものすべてがズレていた。彼女は全然、本当になんにも知らなかった。
最初に会ったときの不信感が、正しかったのだと主張してくるようで。それを振り払おうとするたび、いつかの男子生徒の声が脳内を反芻した。
『最近さ、ハマってんだわ。タイムリープものの映画とか小説』
馬鹿げているとは思う。そんなことは絶対にあり得ないとも思う。だけどもう、それくらいしか考えられないほどに、どうしたって彼女は可笑しかった。
いつものように隣に座る彼女を見て、もうなにを話していいのかも分からないくらい、緊張していた。美空ちゃんは今夜、地元に帰るらしい。
「あのね、真凛ちゃん」
「うん」
「もしかしたら、もう気付いているかもしれないけれど。可笑しかったでしょう、わたし」
「……うん」
美空ちゃんは特に不快に思ったような様子もなく、あっけらかんと笑った。固唾を呑んで彼女の言葉を待つ。だってもうじき、夏が終わる。
「わたしね、病気なの」
「……え?」
「記憶障害、っていうのかな。忘れちゃうんだ、いつも。なにも、憶えていられないの。体も弱くてね、一年の大半は病院で過ごしてるんだ。今年の夏は特別なの。検査の結果が良かったからって」
「……そ、うなんだ」
「あれ。意外と驚いてない?」
「いや、ビックリはしたけど……その、私てっきり、美空ちゃんは過去か未来から来たのかと思ってたから」
恥を忍んでそう告げれば、美空ちゃんは喉が壊れてしまいそうなくらい笑った。今日の美空ちゃんはずいぶん陽気らしい。彼女の調子の違いに気付けるくらいには時間を共にしていた。
美空ちゃんは目元を指で拭って、それから少し眉を下げた。
「はー、笑った。……でもね、すっごく寂しいんだ。こんなに大笑いしたことも、そのうち忘れちゃうの」
「……」
「真凛ちゃんが海に会いに来てくれたときね、わたし正直、別に海を見たかったわけじゃないんだ。でも手帳にね、『くろいまりん、午前十一時、海、絶対!』って書いてあったから、なんだろうって思って」
「そっか、だからあの時……」
「うん、ごめんね。……記憶が失くなるタイミングってね、ランダムなの。いつ来るか分からない。だからわたし、もう何度も真凛ちゃんのことを忘れちゃってた」
確かに、彼女はよく手帳を開いていた。私はそれを、現代との相違点が生まれないように、逐一情報を記録して、確認して、話を合わせるために使っているのだとばかり思っていた。今時、手書きでメモを取ることへの違和感もあったのかもしれない。
それから、今思えば不自然に会話が止まることも、稀にあった。
「そういえば、携帯持ってないの? メモを取るのも手書きだと大変じゃない?」
「携帯……あぁ、うん。どうせ病院くらいにしかいないから、ずっと必要なくて。GPS? は持たされてるけどね。メモはさ、なんていうか……手書きの方が好きなんだ。その時の感情が伝わってくるから」
「そっか……」
「わたし、こんなだから友達が出来なくて。だからきっと、楽しかったんだぁ、今年の夏。本当はね、ずっと忘れたくない」
「……私もだよ」
「……もうすぐ夏が終わるね」
「……うん」
「あのね、わたしも生きてる意味とか理由とか、全然分からなかった。でもね、わたし、秋も生きるよ」
「……」
「冬も、春も、その先も生きる。だからさ、来年の夏、またここで会おうよ。たぶん、今日のことも忘れちゃってるかもしれないけれど……わたし、この夏のことを、真凛ちゃんの顔や声を、また思い出したいんだ」
「うん……うん。約束ね」
美空ちゃんは手帳の表紙に大きく私の名前を書いた。手帳を取り出すたび、いつだって私のことを想えるように、ということらしい。
それから二人で、たくさん未来の話をした。来年は水着を持ってくるから海で泳ごう、だとか、夏祭りに行って花火を見てみたいというので、それも二人で叶えよう、だとか。とにかく、たくさんの未来の約束をした。
そうしていたら、もういつの間にか空は茜色に染まってしまっていたらしく、どちらからともなく立ち上がり、いつものように駐輪場へ向かって歩き出す。
「もう時間だね」
「……そうだね」
「今日も塾なんでしょう? 勉強、頑張ってね」
「ありがとう。美空ちゃんも気をつけて帰ってね」
「……真凛ちゃん。それじゃあ、また夏に、だね」
「うん。また夏に」
最後にお互いの手を握り合って、離れていく体温を惜しみながらも自転車のハンドルに手を掛けた。ペダルがいつもよりも数段重く感じる。途中何度振り返っても、美空ちゃんはずっと手を振っていた。だけど四回目に振り返ったとき、勢いよく振っていた手を途中で下ろして、まるで迷子の子供みたいな顔で私を見つめていて、それに涙が溢れそうになった。今の彼女はなぜ私が泣いているのかも分からないのだろうなと思うと、運命だとか、とにかく森羅万象そのものを呪ってやりたくなった。だけど彼女と出会わせてくれたこの世界に、私はやっぱり感謝するしかないのだろう。
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