枯れた向日葵に晩夏を見るお話

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「名前ってのは御守りみたいなもんだから」  残しておいたご飯に二杯目のカレーを注いだ僕の皿を持って、台所から居間に戻ってきた母さんが言う。 「御守り?」 「そ。あんたが何者なんかを示す為の、言霊(ことだま)だよ」  受け取った皿にさっそくスプーンを突っ込んで、カレーをすくい取る。  口に頬張りながらふと視線を上げると、向かいの席に座って微笑ましそうにこちらを見ている母さんとうっかり目が合った。 「……迷子プレートみたいなもんか」 「そーんな犬猫みたいな!」  連想した名称が口から滑り出た瞬間、母さんの笑い声が弾けて神妙な空気を打ち消した。 「だからって人目もある時間帯にあんなでかい声で呼ばんでも……」 「あんたが早いうちにこっち向いてくれてたら、呼ばれんで済んだに」  人目を気にしない性格は、母さんだけに限らず、きっと世代特有なのだろう。  悪びれない調子で反論されて、対してこちらは返す言葉がすぐには思いつかず、興味の無いツラを作ってカレーを頬張ることで誤魔化した。 「でも現にあんた、呼んだら反応したじゃない」 「そりゃ反応するよ、自分の名前だもん」 「そうだよぉ、あんたの名前。ちゃんと分かってるなら大丈夫だね」  その様子なら連れてかれんで済みそうだわ。  食卓にさらりと落とされた不穏な言の葉を、僕は口にかっ込んだカレーと一緒に呑み込んで、聞こえなかったフリをする。 「あんた、子供の頃からずうっと変わらんから時々心配になるんだわ」  そこへ、テーマを変えずに新たな話の種が植えられた。  せっかく気を向けないように繕ったのに、これでは意味が無い。まだ話を続けたいらしい母さんに(しか)め面を向けて抗議する。 「その手の話、あんまり好きじゃないの知ってるくせに……」 「好き嫌いの問題じゃなくて。小さい頃なんか特に呼ばれがちだったから」 「呼ばれがちって、何に」 「何、とまでははっきり分からんけどさ」  言わんとしていることが今一理解(わか)らず、さすがにカレーを食べる手を止めた。 「あんた昔からああいうの見掛けるとずーっと眺めてたじゃない。蝉の死骸とか萎れたハイビスカスとか、枯れた向日葵とか」  まあ都会じゃなかなか見られんものばかりだからかもしれんけど、と母さんは続けて麦茶をあおる。  母さんの中では、都会は虫の一匹も生息していないし花もそんなに咲いてない、というイメージが出来上がっているらしい。 「久々の帰省で懐かしいからって見に行くのもいいけど、程々にね」  食べ終えた食器をトレイに載せる母さんの手元を眺めつつ、持ち出された言葉の断片と合う記憶の一部を思い起こす。  道端に転がる蝉が、つついてもピクリとも動かなくて本当に死んでいるんだと理解した瞬間。花屋のショーウィンドウでずっと客引きの役を担わされていたハイビスカスが、すっかり萎れて取り替えられる様を偶々目撃した瞬間。  小さい町中で特に高い人気を誇るあの向日葵畑の、すっかり枯れたまま暫く放置されている景色を眺めている瞬間も。  焦燥感(しょうそうかん)、とも言い換えられる『しこり』がずっと。  胸の内でとくとくと脈打っていた。  ──今でも。  終わりかけの夏が僕の心をかき立ててくる。 「魅入りすぎて、自分を忘れないように気ィ付けんと」  回想を切っ掛けに小さい頃の自分に立ち返っていた意識は、またも母の一声によって(うつつ)へと戻される。  からん。  と、麦茶に浮いた氷が鳴いた。
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