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夏の終わりを感じる景色に、小さい頃から焦がれていた。
「カイちゃぁん」
夏自体は好きでも嫌いでもない。この季節だからこその出来事や景色を、人並みに体感して良くも悪くも思いながら、過ごすだけ。
──ただ。
「かーいぃ」
露出した腕を冷たい風に撫でられた時とか、アキアカネがつがいで飛ぶ様子を見掛けた時とか──。
そういう、秋の気配を感じる発見があると、後ろ髪を引かれるような思いになる。
「かーいとぉ」
寂しい、ともとれる。怖い、ともとれる。
外を歩くのが地獄に思える暑さの夏が、いよいよ終わる頃に差し掛かるといつも。
「海斗やぁ」
僕だけ、取り残されているような気がして──。
「カイちゃん。行こう」
──母さんの、声だ。
自分の名前を呼んでいるのだ、とようやく気が付いて振り向くと。
夕餉の支度をしていた筈の母さんが、三角巾に割烹着という出で立ちで僕の後ろに立っていた。
母さんの声は、聞こえてはいた。
鼓膜はきちんと音を拾ったけど、脳みそが音以外の情報処理を怠っていたというだけで。
「ご飯、もうできるよ」
「ああ、うん」
ごめん、と小声で謝りながら、僕は再び前を向いた。
腰丈ほどの柵を挟んで、眼前には向日葵畑が広がっている。
夕空を照らす赤い太陽を仰ぐその中にも、そろそろ花が萎れてきているものもあるようで、畑全体の色味は満開の頃より茶色が目立つようになってきた。
──その。
枯れた向日葵の姿に、寂寥感をかき立てられて。
僕も一緒に行かなくちゃ、と何故だかそう思えてたまらなくて──。
「大伴海斗!」
「あぁハイ、ハイ」
フルネームで再び呼ばれて、今度こそ僕は向日葵達に背を向けた。
一度目に振り向いた時は不安げな面持ちをしていた母さんだけど、息子の名を苗字付きで呼んだその顔は、不安でも苛立ちでもない、ぴしゃりと発声して喝を入れる坊様のような強い意思を帯びていた。
「あんたが好きな野菜カレー作ってやったから、行こ」
「うん、うん。行くよ」
家に戻る意思を示して隣に立った僕を見上げて、ようやく母さんは安心したらしい。いつもの優しい顔つきに戻った母さんと並んで、帰路に就く。
歩きながら、小さい頃はこちらが見上げる側だったな、と追想する。チビだの華奢だの言われていた僕も少しは成長したということか、或いは母さんの背が歳と共に縮んだからか、その両方か。
「何でさっき、フルネームで呼んだん。怒っとる?」
「怒っとらんよぉ」
怒っとらんけども、と口の中で繰り返しながら、母さんはふと足を止めて僕を見た。
奇怪そうな顔つきをしていながら、しかし二の句はなかなか継がない。言い辛いことなら言わなくても、と遮ろうとした矢先。
「何でか、あんた──連れてかれそうに見えたから」
気のせいだわね、と自問自答で終わらせた母さんの言葉に薄ら寒くなって、向日葵畑を振り向いたものの。
向日葵達は相も変わらず、もうじき沈みゆく夕日しか目に入らないという様子でじっと植わっていた。
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