九鬼左馬刻という青年

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坂田金虎は一人の若者、九鬼左馬刻に意見されたことが許せなかったようで、半ば乱暴に反対を押し切って討伐隊を編成し、以前、遅れていた部隊が鬼らしき化物に皆殺しにされたという土地に送り出した。 それから一週半後。 坂田金虎邸の門前に大きな血染めの風呂敷が置かれており、そこからはみ出る鹿の角。 交代時間になったときの隙をつかれたのであろうか、代わったばかりの時に置かれてあったのを見張り番が気づいて、中身を検めると、なんと討伐隊の頭の山であった。 その山の頂点に、あの兵士の頭があり、額には鹿の角が突き刺されてあった。 まるで鬼のよう。 凄まじい恨みのこもった届け物に、恐ろしく思って逃げ出す兵士が増え、討伐隊壊滅の知らせを聞いた九鬼はすぐさま飛んでいき、生首の前で頂垂れた。 カラスたちが空を舞い、1羽が降り立って生首を啄もうとして、九鬼に追い払われ、恨み言を言ってるかのように鳴いた。 頭の山を崩すことが恐ろしくて、誰も片付けようとしなかったのだろう、これでは虫や獣たちの餌になってしまうではないか。 九鬼 「こんなことって…!」 お守りをくれ、笑って恋を応援してくれた兵士の最後の微笑みが浮かび、悲しみにくれつつ、彼の生首を手拭いで掴んで優しく持ち上げ、角を引き抜くと包み、大切そうに抱えてお寺に向かった。 寺の小坊主に知らせを受け、驚いて出迎えてくれた住職に頼んで手厚く供養してもらった。 九鬼 「あんなふうに殺すなんて…残酷すぎる」 拳を握り、肩を震わせていると住職がお茶に誘ってくれ、縁側でお茶を飲みながら何があったか聞かせておくれと問われたので、起きたことを話すうちに落ち着きを取り戻した九鬼は大きくため息をついて、お茶を一気に飲むと住職を見やる。 九鬼 「あなたと話したおかげでだいぶ気が楽になりました」 頭を下げる彼に、いやいや、私はお聞きしただけですよ。とおおらかに微笑んでくれた。 九鬼 「…彼を殺した鬼は、やはり母親や仲間たちの復讐の為にあんなことをしているのでしょうか…」 住職 「きっとそうでしょうね…。ただ、それであなたもやり返すようなことがあれば、相手も同じように返してくる。恨みの連鎖はここで断ち切りましょう。今その鬼を退治したところで、新たな鬼が現れるだけでしょう」 その言葉にハッとさせられたのか、顔を歪める九鬼。 あの兵士もそう言っていた。 やられたらやり返す。鬼があの兵士を殺したのは、彼に仲間をやられたのを覚えていたから。 今回殺された討伐隊は以前の鬼狩隊の参加者で編成されていると聞いていた。 だから…。 九鬼 「鬼の討伐を辞めさせないと…」 もう手遅れで、以前の鬼狩り隊を狙っているのは分かったが、また編成される討伐隊に、経験のない兵士が入ったら更なる復讐の連鎖が増えるだけであろうことは想像できた。 九鬼 「急がないと、坂田様なら癇癪を起こしてまた討伐隊を出そうとするかも…!」 慌てて立ち上がり、住職にお礼を伝えてから走って屋敷へ戻ると、討伐隊が全滅したばかりだというのに、もう次の戦の準備が始められていた。 あの生首の山はすでに運ばれていたらしく、それがあった場所にはゴザが敷いてあり、四隅に石を乗せて飛ばないようにしてあった。 今回の件で兵士をたくさん失ったため、近隣の村から男達を集めており、中には無理矢理連れて来られた男もいるようだ。 そして人が足りないとのことで、九鬼も戦に出陣させられることになってしまい、結局何も伝えられないまま屋敷を後にするしかなかった。 九鬼 「目まぐるしい…」 首に下げた水入り瑪瑙の入った御守りを握りしめ、肩を落としてふらふら歩いていると、なんとなく桃園に行き着いていた。 九鬼 「あれ…。どうしてここまで来てしまったんだろう…」 不思議に思って、その場を後にしようとすると、微かに歌声が聞こえてきて、惹きつけられるように覗き込むと、草を刈りながら歌っているようだった。 いつも桃を運びに屋敷を訪れている娘。 歌声も美しいのか、となんとなく思いながら聞いていると、それは鎮魂歌のようだった。 桃園の娘 「獣に引き裂かれた あのお方 桃をおいしいと褒めてくれた あのお方 水入り瑪瑙を 見せてくださったお方 ねむれねむれ 永久に 穏やかに 何も怯えることなく お休みください ありがとう 私たちのために戦ってくれて ありがとう どうか安らかに 安らかに───…」 それはあの兵士のことを歌っているのだとわかった。 出発前のどこか切なげに笑っていた兵士。やはり無惨に殺されてしまったのは辛かったのか、九鬼の頬に涙が伝う。 ふと彼女が九鬼の気配に気付いたのか振り向いて、涙を流しているのに驚いて立ち上がった。 桃園の娘 「これはお侍様!気付きませんで、その。手ぬぐいをどうぞ…」 そう言って懐から手渡されたそれからは桃の匂いがした。 恥ずかしそうに頭を下げ、それで涙を拭うと、お礼を伝えると彼女は優しく微笑み、どういたしまして、と返してくれた。 桃園の娘 「お侍様は以前、あのお方と話してらっしゃいましたよね」 その言葉に覚えられていたのかとなんだか胸が高鳴った。 桃園の娘 「彼、時々遊びにいらしては桃を買って行ってくださっていたんですが…。出発する前にあなたのことを話されてましたよ。とてもお優しくて、いつも馬を大切にしているまっすぐで素直な人だと…」 小さく微笑み、どうぞ。ともぎ取った桃を剥いて出してくれた。 九鬼 「ありがとう…」 一口齧ると優しい甘さがじゅわっと口いっぱいに広がると同時に、ツンと鼻にくるものがあった。 ああそうか。きっとあの人も彼女のことが好きだったんだな。 なんとなく気づいてしまった。 それなのに、自分の気持ちはよそにやって、俺の恋の応援までしてくれるなんて、最期まで世話になってしまったな、とぐすっと鼻を啜った。 九鬼 「…実は、あの人とはあの時初めて会話しまして…。新参者の上に将軍の不興を買ったので、避けられる中良くしていただきました」 首から下げている御守りを握った。 九鬼 「どうしてあんな良い人が殺されなければいけないんだろう…」 あの残酷な光景を思い出し、悔しそうに顔を顰めると、彼女が眉を下ろした。前髪が眉より上で切り揃えられているから、動きがよくわかる。 桃園の娘 「…鬼にとっても同じような気持ちだったのかもしれません。母を殺された子供の復讐だと噂でお聞きしました」 自分にとってのいい人が、他の人にもそうであるとは限らない。そう仰ってました。と九鬼を見上げる。 桃園の娘 「私たちに出来ることは、これ以上無益な犠牲者を生み出さないことかもしれません。あのお人がお侍様にそれを話したのなら、きっとこれ以上同じことを繰り返してほしくなかったのかも」 うっすらと曇った空を見上げる彼女に、九鬼も倣って見上げ、決意を固めたのか、彼女を見つめ直した。 九鬼 「前回は大失敗でしたが…機会があったらもう一度坂田様に進言してみます。鬼討伐は悲しみしか生み出さないと今回の件で身に染みましたので」 それに彼女が少し驚いたようにこちらを見て、微かに頬を赤らめて微笑んだ。 次はうまくいくよう祈りましょう。と動く桃色のふっくらとしたきれいな唇に見惚れそうになった。 九鬼 「…あの、…桃ありがとうございました、凄く美味しかったです。いくつか買って行っていいですか?俺の馬にも食べさせてやりたいので…」 この分、とそう言って銭貨を何枚か出すと、彼女はくすりと笑い、はい。少々お待ちを、と少しその場を離れ、あずま袋を持って戻ってくるとといくつかの桃を丁寧に入れて渡してくれた。 こんなに?と驚くと、彼女はおまけの分も入れてるんです。と言ってくれた。 桃園の娘 「亡くなってしまった彼の分も一緒にお召し上がりください」 そういう彼女の暖かな木漏れ日のような微笑みに、再び見惚れてしまう。この短時間で何度彼女に恋をしてしまったのであろうか、そう思うほどである。 桃園の娘 「どうか無茶をなさらないでくださいね、お侍様」 こくりと頷く九鬼。 九鬼 「ありがとう。彼の墓前にもお供えさせてもらいます。その…名乗ってませんでした。俺は九鬼、九鬼 左馬刻って言うんです。あなたの名前を教えていただけませんか?」 それに九鬼 左馬刻さん…と小さく繰り返す彼女に、なんだか照れてしまう。 「私は『モモ』と申します。どうぞよろしくお願いします」 初めて聞けた彼女の名に、モモさんっておっしゃるのか…なんともお可愛らしい…桃園の娘だからそう名付けられたんですかね?と聞くと、実はそうなんです。とくすくす笑って返してくれた。 モモ 「またのお越しをお待ちしております。おそらくまた注文が入れば、お屋敷に伺うと思います。その時にまたお会いできるかもしれませんね」 九鬼 「そうだね。また会えると嬉しいな。…モモさんと話したおかげでだいぶ元気出ました。本当にありがとうございます」 本当に話せてよかった、心の底からそう思いながら頭を下げ、それじゃあ、とその場を後にし、屋敷に戻り馬小屋を訪れると、ネロが嬉しそうに鼻を鳴らす。 ネロに桃を買ってきたよ。実はさっき悲しいことといいことがあってさ。とネロのエサ桶の中に桃を入れてやると、嬉しそうに貪り始めたので、その首を優しく撫でて、彼女の名を知れたこと、そしてあの兵士が自分のことをこっそり推してくれていたことなどを報告していた。 その結果、ネロがよかったねー。と言いたげに桃の果汁まみれになった口で九鬼の頭をはむはむしてきて、髪がベタベタになってしまった。 良くしてくれた兵士の死はとても辛かったが、彼の為にも、仲間たちのためにも、坂田の暴走は止めたい。 その決意は揺らがないものになっていった。    
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