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カンパリオレンジ
「結局花火行けなかったね、結構楽しみにしてたのに。」
夏の終わりを告げる風に頬を撫でられながら独り言に捉えられてもいい声量で呟く。
「本当に楓は花火が好きだなぁ」
目尻に皺を寄せて、くしゃっとした笑顔であなたは返す。
この光景を何度反芻しただろうか。
大学1年の春。
一つしか違わないのにカクテルに詳しくて、流行りの曲をギターで弾くあなたが全能に見えていたの。
あなたがいるから、好きでもないお酒を飲みに行ったし、楽譜も読めないのにギターを買ったの。
「今日このあとうちで映画見ようよ」
お酒で少し頬を赤くしたあなたが私を誘ってくれるなんて思いもしなかった。
「君とみたい映画がある」
なんて言うから、全能神が、気まぐれで私のところまで降りてきてくれたと思った。
汚いからと玄関で5分待ってる間に100回は後悔した。
もっと爪を磨いて凝ればよかった。昨日は夕飯を我慢すればよかった。いつもよりアイロンの温度を上げればよかった。
内カメラの中で重力に逆らう私の癖毛を疎ましく感じた。
「おいで」
六畳一間の聖域は金木犀の香りに包まれていた。
あなたが再生した金髪の綺麗な女性が出てくる映画は、タイトルすら覚えていない。
再生して5分で手を繋いで、10分が経つとあなたの手は暗闇で器用にブラを外した。
「楓とずっと一緒にいたい。ほんとに可愛い。」
私が神の土俵に上がれたと勘違いをするには充分な甘言だった。
飲み会の後にはあなたの部屋で映画を少しだけ再生することがルーティン化してきた初夏。
私からねだる形で私たちは交際を始めた。
友達が多いあなたが、いつ私を捨てるのかずっと不安だった。
「みなとみらいで花火やるんだって。」
暗闇に真っ赤な花火が上がった画像を見せてくれた。
「絶対行こ!」
花火を見るあなたの隣にいるのは私がよかった。
取り立てて花火に興味なんてなかったけど、花火の下であなたの隣に私じゃない誰かがいるのは許せなかった。
だんだんLINEの返事がそっけなくなってきて、花火大会の存在なんてすっかり忘れてる様子のあなたに呟く私。
私が花火を好きだと勘違いしているあなた。
私たちの交際は3ヶ月で幕を閉じた。
「部屋で映画を見る」ことが前戯だと知ったのはもう少し先の話だ。
彼が商社に就職したと耳にした。
「カンパリオレンジのカクテル言葉は初恋だっけ。」
生ビール片手にベランダで独りごつ。
遠くの川沿いで花火が上がっている。
少し遅れて大きな音が私の胸に響く。
サラサラした風な頬を撫でる。
もうすぐ、秋が始まりそうだ。
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