夏の終わり方

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 足見(あしみ)壮(そう)は夜にランニングするのが日課だった。ほてった身体をアイシングするために頭から冷水を被る。外の気温が熱帯のように蒸し暑かったせいか、家から持ってきた冷水はぬるくなっていた。 「全然、涼しくねぇ〜」  公園の水道を探して歩く。暗い街頭はかろうじて足元を照らしていた。ポタポタ、と頭から被ったぬるい水が身体から滴り落ち、ヘンゼルとグレーテルのように歩いてきた足跡を残していった。被った水なのか、汗なのかわからないほど、ポタポタと垂れている。  うっすらと、目的地である水道の前には人影が見えた。 「あ」  水道の前にいたのは、引退した部活の後輩だった。 「うっす、久しぶりっす」  向こうもまさかこんなところで会うなんて思ってもいなかったのだろう。少しだけ、気まずい雰囲気が流れていた。 「まだ、同じコース走ってるんすね」 「まあな、ルーティンみたいなものだから執念に近い」  お互い部員だった時は気兼ねなく話していたのに、いつからか部活にも顔を出さなくなってしまった。 「最近、やっと地元で夏祭りできるようになったんすよ」  ここ数年、コロナで中止になっていた夏祭りや花火大会が解禁されるようになった。そうだ、コロナになってから部活に顔を出さなくなった。数年前の話だと言うのに、もう自分の中ではとっくの昔の思い出になっている。 「5年前に夏祭りに行った時、浴衣にソースこぼしたの誰だっけ?」  思い出のカケラを辿るようにして思い出したのは、後輩のやらかした思い出。 「それは忘れてほしい思い出です」  恥ずかしそうに頭を掻く後輩。  夏祭りなどイベントを終えた夜ほど切なく感じることはない。だが、イベントがなかったせいか、そう感じることも少なくなってしまった。淡々とこなす仕事のノルマを無感情にこなしていく。そんな日々を無意識のうちに過ごしている。  振り返ってみれば、仕事中心の生活を送っていた。社会人としての常識や属する業界の作法に習熟していくことで、自分が強く、生きやすく、価値ある存在に感じることもあった。だが、それは後から身につけた仕事用の鎧みたいなもの。  それを身につけるためにどれだけの時間と労力を費やしたことか。 「あのー、足見さんがよかったら海外のトライアスロンに一緒に参加しませんか?」  後輩の提案に耳がピクリと動く。コロナですっかり競技から離れてしまったが、あのお祭り騒ぎは離れてみると恋しくなるものだ。ラスト200mの興奮を思い出して身震いした。 「あはは、もうそんなに動けねぇよ」  後輩にダサい姿を見せたくなくて虚勢を張る。 「いやいや、こうして仕事終わりにランニングするぐらいですもん。いけますって」  後輩の言葉にグッと背中を押される。久しぶりに感情がさらに動いたような気がした。そうだ、いつも後輩の佐々木 千隼に励まされていた。そのことを思い出した瞬間、ポロポロと涙が止まらなくなった。 「え? そんなに嫌だったんすか。なんかすんません」 「い、いや違うんだ……なんだか、懐かしいなぁって……。ぜひ、一緒に参加させてくれ」  壮は泣きながら佐々木の手を握る。 「そう言ってくれるの、ずっと待ってました」  佐々木は壮が勢いで握ってしまった手を優しく手を握り返してくれた。 「……それ、どういう意味?」  待っていた、とはどう言うことだろう。 「ずっと競泳の世界で待っていたんすよ。それなのに、全然顔を出してくれないし、大会は中止になるしで、会えなくて。会える理由が見つからなくて」  今度は佐々木が涙ぐむ。涙をこぼさまいと必死に目を開かせていた。 「それは、ごめん」  仕事や生きることに精一杯で不安な気持ちを抱えたまま誰かに会う余裕がなかった。 「明日の22時にここで待ってるんで、一緒に走りましょ」  佐々木の提案に静かに頷く。こうして失った時間をゆっくりと取り戻していった。 ***  今日も千隼と一緒に夜にランニングをする。ほてった身体をアイシングするために頭から冷水を被った。 「うわっ!」  アイシング用の冷水はぬるくなく冷たいままだった。気づけば季節は秋に変わっていた。
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