讐い

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讐い

コペルニクス基地を超えて、大規模太陽光発電システムのパネルが並ぶ中央の入江に至る。 地球が生み出した叡智の結晶。 月面都市を見下ろす。 鉄の翼が透明に光る。 息を吐き出す。 吸うことなく。 さらに吐き出す。 「月人め」 クレーターミスランディアの中に作られた居住用コロニー。 時刻は深夜2時。 太陽の光に煌々と照らされる、青白い都市。 こんなに眩しく輝きながら、月面に生きる彼らはどうやって眠るのか。 月面都市群が地球からの独立宣言をして170年。 月ー地球間の国交は断絶したまま。 172年前の今日。 水資源完全循環システムが完成して数ヶ月という時だった。 月人たちは、月面の太陽光発電システムを独占し、月から地球への送電網を全て破壊した。 月面太陽光発電に8割の電力を依存していた地球は、それだけで混乱状態に陥った。 月の攻撃はそれでは終わらなかった。 地球軌道上のすべての宇宙ステーション、開発施設、輸送船を破壊した。 どの国の、どれほど小規模の設備も。 再起不能にした。 そして、月軌道上に建設中だった核融合施設を大西洋へ落とし、地球人口の4分の1の命を奪った。 それから170年。 地球の人口は減少を続けた。 宇宙進出の土台を全て奪われた地球は、星外へ逃れることもできず、死んでいくばかりだった。 人間だけじゃない。 地震、火山噴火、洪水といった災害に追い討ちをかけられ、生態系は壊れ、混沌が星を包んだ。 これは、報復だ。 もはや当時の月の裏切りを知る地球人はおらず。 星では怨恨だけが語り継がれる。 未来に絶望した者たちが、せめて裏切りの月を道連れにしてやらねば滅ぶこともできないと作った作戦。 太陽光線に紛れて月に近づくための、特殊な翼。 核ミサイルを積んだ特攻機。 帰りのことは考えていない。 大気圏再突入機構はないのだ。 帰ったところで、星と共に死ぬだけ。 ただこの機体を、あのコロニーの中心に落とせばいい。 狙いは水資源循環区画オアシスだ。 『あーあー、聞こえますか?』 突然、無線通信に、声が入り込んだ。 『そこの、空を飛んでる君、  聞こえますか?』 見つかっている? レーダーも目視も、この機体であらゆる探索を誤魔化しているはずなのに。 『オアシス浄化槽区画制御棟から発信している。  コロニーミスランディアの中央丘上、  72ある浄化槽の外側、  L字のビルだ。  屋上から赤い光が見えるだろ』 言われた通りに探せば、確かに光が見える。 むしろ、コロニーミスランディアの中は他には何も光っていない。 夜だからか。 寝静まっているのか。 平和なものだ。 『飛んでいる君は、一体何者なんだろうな』 声の主はずいぶん若い。 警告も、威嚇もしてこない。 近づいていく。 眠る都市の上空を飛んで、刻々と。 近づいていく。 『地球から月への旅行客ではないんだろうな。  核融合炉を落としたことで、  ひどい恨みを買っているだろうから』 分かっているなら話は早い。 『まあどんな理由にせよ、  コロニーへ降り立つのはお勧めしない。  このまま引き返して地球へ戻れ』 ずいぶん気弱な撤退勧告だ。 正規軍らしさはない。 軍を組織しているならの話だが。 どちらにしろ、“降り立つ”気はない。 『もし君が、  月人への報復を考えるテロリストなら、  残念だったな。  報復なら、  先に俺が始めてしまった』 何だと。 通信の主は笑った。 『オアシス浄化槽内に、  複数のバイオ兵器を流した。  分割区画の全てに。  例外なく。  2年以内に備蓄も失い、  都市機能は崩壊するだろう。  月の資源は限られている。  地球との国交回復に向けて、  今動き出さなければ、  数年で月人類は絶滅する』 こいつは、何を言っている。 『確かに、  月軌道上に作った核融合炉。  あれはまずかったよ。  月は辺境で、  何か事故があっても切り捨てられる。  地球人は安全な場所から利益だけ集めたい。  それに気づかないとでも思ったのかな』 否定はできない。 その通りだから。 『まずかったのは、  月人たちには、  そんなつもりはなかったからだよ。  宇宙というフロンティアを切り開く、  最先端をいく人間として、  地球という遅れた大地から、  恒久に援助を受けられる気でいた。  実際には、  月面開発も軌道上開発も、  地球のエネルギー問題解決のため。  生まれた利益は地球にむしり取られる構造』 それに気づいた時には、核融合炉の建設が始まっていたというわけか。 『無国籍で多国籍、  宇宙では政治は遅れ、  地球上の権力争いを再現するばかり。  だから、  月に移り住んだ民で一つの国になろうと、  地球から独立しようとした。  ここまで完全な独立を果たせるとは、  当時の月人たちも思わなかったろうよ。  でも、月と地球は離れすぎてる。  宇宙空間という暗黒の大海が間にある』 そして月は独立を果たし、豊富な光資源を独占することになる。 『俺たちは今、月の全人口を人質に、  都市国家政府を脅してる』 声の主は、正規軍どころか、レジスタンスだったのか。 『地球は死にかけてる。  大西洋沿岸国家は跡形もなく消滅し、  気候変動によって食糧難にも陥っている。  この100年、  地球から宇宙への再進出の兆しはない。  それほどまでに疲弊している。  このままでは地球人類は滅ぶだろう。  月のエネルギーが必要だ』 この話は、いったい誰に向かってしている? 『元は同じ星に生まれた同胞だ。  いくら、  地球人たちが月を搾取してきたからって、  見捨てるべきじゃない。  地球と手を取り合うか、  地球と共に滅ぶかだ』 この話は、一体いつの話だ。 『もし、赤い光が点滅していたら、  それは作戦継続中だ。  手を出すな。  もし光が消えていれば、  交渉が成立している。  じき地球へメッセージが送られるだろう。  星で待っていてくれ。  もし、ずっと点灯したままなら』 また、笑った。 『作戦は失敗だろう。  だろう、と言うのは、  俺がもう死んでいるからだ。  バイオ兵器によって月人類は絶滅した。  君が見ているコロニーは、  複数の強化病原菌を循環するだけの、  汚染された滅亡都市だ』 赤い光は。 ずっと灯っている。 それしか灯っていない。 『独立100年、万歳。  でも次の100年は、地球と共に歩もう』 独立100年だと。 もう170年だ。 平和に見えたこの都市は、もう70年も前に、すでに死んでいたのか。 「ざまあねえな」 平和な都市を見下ろす。 声の主のレジスタンス。 いかにも月人らしい。 後先考えず、自分の主張のために全てを破棄する。 地球も、月も。 あと70年早く来ていたら、ミサイルでこの馬鹿な話を止めてやったのに。 「…俺の復讐を」 数秒後。 見えない翼に抱かれた核が落ちた。 満月が、欠ける瞬間。 終
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