期間限定の私たち。

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期間限定の私たち。

「じゃんけんに負けたほうが勝ったほうの言うことをきくってゲームしない?」 隣の席の相田くんが突然そう言ってきた。 にこにこ笑っている。彼が冗談でそんなことを言う人ではないってことを私は知っている。 だから、頷いた。 放課後のざわめきが一段落ついた教室で。 「何でも?」 「そ。何でも」 「その言葉忘れたらだめだよ?」 「だいじょーぶ」 何が大丈夫なんだか、相田くんは右手を顔の高さにもってきて、ぐーぱーぐーぱーと開いたり閉じたりしてみせてくれた。 思わず真似をして私は右手を握りしめる。 相田くんはにんまり笑った。 「じゃあいくぞ。じゃーんけーん」 *** 「今日は帰りに自転車二人乗り」 「ええ。こわい」 「何でもって言ったでしょ?」 『負けたほうは、勝ったほうの言うことを何でもきく』 その約束は遂行されている。一緒に下校することで。 だって毎日相田くんが放課後に下駄箱あたりで待っているから。 『期間はそうだな、9月の終わりまで。夏が終わるまでかな。一緒に帰ろうよ』 後出しじゃんけんのようにくっついてきた条件。 今は9月の初め。まるっと一ヶ月? 「相田くん、なんで私?」 「え? なんとなく。俺負けない気がしたから」 「そりゃあ、勝てなかったけどさ」 鼻歌を歌って相田くんが私の前を歩く。 はーあ 大きなため息も聞こえているはずだけれどキレイに無視された。 「そういうことじゃなっくて」 「ん?」 振り返って相田くんが目を細めて聞き返してくる。 笑顔がまぶしい。 *** 相田くんといえば、中学2年の我がクラスでも一番に目立つ男子。 でも、誰かをいじったりそれこそいじめたり、そういうことは絶対にしない。 大人しくて文句の言えないような子がゴミ捨てを押しつけられたりしていたら。 「今日の当番の人、だーれー? さぼらなーい!」 ってちゃんと声をあげられる人。 課題の提出も授業中も、ときどき寝てたりもするけれど、基本真面目にしている人。 体育も得意で何でもできて。 でも私は。 友達が誰かにいじられていたら見て見ぬふりをする人間。 むしろ一緒に笑ってしまうかもしれない。それこそ罪悪感も何も持たずに。 ──だから友達もはなれてくんだよ 小学6年の時に言われた言葉が頭からはなれない。 あのときから私、ひとりになった。 今のクラスにも仲良しの女子はいない。 『ぼっちの木梨さん』って陰で呼ばれてるの知ってる。 そんな私と一緒に帰るとか。嫌じゃないのかしら。 「相田くんってマゾなの?」 「あああ? 何言ってんの木梨さん?」 「だってさ、どんな悪趣味かと思われてるよ? 相田くんの学校生活に差し障りがあると申し訳ない」 「何言ってんのさっきから。俺から言い出したじゃんけんでしょ? こうやってさ、無理矢理にでも設定しないと百合ちゃん俺と話してくれないから」 『百合ちゃん』 昔の呼び方で呼ばれるとくすぐったくて懐かしい。 どきどきする。 昔。 小学校のころは百合ちゃんって呼ばれていた。 *** 「二人乗りってしたかったんだよな」 「ええ?」 「初めてしてみた!」 風を切って走る自転車の後ろに乗せられた。 どこに足をのせたらいいのかもわからなくて困ったけれど、相田くんがちゃんと教えてくれた。 大体、相田くんが初めての二人乗りのわけがない。 「今までの彼女としてきたでしょ?」 風で聞こえにくくなるから、私は必死で大声をだした。 だって。 『二人乗りが初めて』なんてきっと嘘。 相田くんに彼女がいなかったわけがない。 知らないけど。 今はいないんだろうけど。 私なんかと帰ってるくらいだから今は、彼女はいないんだろうけど。 「彼女なんていないよ! 百合ちゃんとの二人乗りがほんとに初めてってこと!」 「ええ?」 「だからうれしいんだってば!」 *** 毎日相田くんと下校するようになって一週間がたったころ。 さすがに周りの視線が厳しいことに目を向けざるを得なくなっていた。 相手は、クラスで一番目立つ、一番かっこいい相田くんだった。 「木梨さん、なんで相田くんと帰ってるの?」 女子が群れて私を囲む。こういうの苦手なんだけど。 まあ得意な子なんていないだろうけど。 相田くんがまだ登校していない朝の教室。 「じゃんけんで」 「え? 聞こえないけど」 リーダー的な存在の五十嵐さんがとげとげしい声で私を刺してくる。 見えないナイフがぐさりぐさりと。 ああもう。 聞こえないって言われても。 なんでって言われても。 『じゃんけんで負けたから』。 ただそれだけなのに。 言いたいことが胸の中で渦巻いて、教室中を巻き込んだうねりの中に自分が放り出されたような感覚。口を開いて反論したいのにできない自分。小学生のころから変わらない自分。 もういいや。 そう諦めかけたとき。 「じゃんけんで俺が勝ったから言うこときいてもらってんの!」 登校して教室に入ってきた相田くんが大きな声をあげて私の前に立った。 「ごめんな百合ちゃん」 ゆりちゃん。 教室でその呼ばれかたをされたのは初めてだった。 ざわり、と周りの空気が揺れた。 女子が男子が、みんなが私と相田くんに注意をむけているのがひしひしと感じられた。 だめだよ、相田くん。 「やめて」 「ん?」 「百合ちゃんって呼ぶのやめて」 それじゃあ相田くんがなんて言われてしまうか。 嫌な思いさせたくない。 「いやだった?」 心配そうな声で相田くんが私に尋ねる。 こくん、と頷き私は大きな音を立てて椅子を引いた。 うつむいて椅子に座り込む。 もう二度と上は向かない。 向けない。 目頭が熱くなって瞬きを何度もしているうちに涙が浮かんできた。 唇を噛んでぎゅっと横に引き結ぶ。 教室はしんと静まっていた。 私の前に立っていた相田くんが黙って自分の席に座った。 *** 放課後、そわそわして昇降口にでた。 下駄箱あたりを見回して探してしまう。 いつもなら。 そう、いつもなら相田くんが私に声をかけてくれて。 私は「また?」という可愛くない顔をして。 でも軽い足取りで二人で帰っていたのに。 今日は相田くんはいなかった。 私はひさしぶりに一人で帰宅した。 期間限定。 そうだ。 私たちは初めから期間限定だったんだ。 そうやって自分に言い聞かせる。 9月の終わりまで。夏の終わりまで。 初めからそう言われていたんだから。 いいじゃない。 終わりが早まっただけ。 お風呂に入っていても、歯磨きをしていても、そんなことだけを自分に言い聞かせる。 *** 今でも夢に見ることがある。 あれは小学6年生のとき。 相田くんがミドリちゃんのノートを破ったって責められて。 でも、ちがうって相田くんは抵抗して。 机を囲むようにしてみんながみんなで相田くんを責めたてたとき。 相田くんじゃないって、私言ったんだ。 だってわかってたから。 誰がやったのかって、知ってたから。 やったのはナナミちゃんって知ってたから。 『それはナナミちゃんがやったよ、見たもん』 正しいことを言ったつもりだったけど。 『いいこぶって嫌な子』 そんな陰口をたたかれるようになって。 だから、だからそれからは、私はみんなと同じようにした。 誰かが誰かをいじっても止めない。 ただ見ている。同じように笑う。 静かに傍観者となっていた。 仲のよかったカナエちゃんが標的になったときでさえ。 私は笑って見ていた。 カナエちゃんがそんな私に怒った声で言った。 ──そんなだから友達がはなれていくんだよ それから私はひとりになった。 *** 相田くんの転校がわかったのは9月があと5日で終わるときだった。 期間限定。 ほんとうに期間限定だったんだ。 あれから目も合わせてくれないけれど、相田くんは隣の席で普通だった。 授業中にときどき居眠りすることも、みんなに楽しく話しかけることも。 私を木梨さんって呼ぶことも。 全部普通のことで、かわらないことだった。 *** 「木梨さん」 もう明日からは別の学校に転校するという日。 9月30日。明日から衣替え。夏が終わる日。 相田くんが昇降口で私を待っていてくれた。 呼び止められて、息が止まった。 でもつとめて平静な声で答える 「なに?」 「もっかい。じゃんけん、しない?」 「え?」 相田くんが笑顔で手をぐーぱーぐーぱーとしてみせてくる。 9月の初めのあのときのように。 「言うこときくの? なんでも?」 「そ。おぼえてた?」 「期間限定」 「うん。でも延長もできる」 「え?」 「内容によるけど」 そういって、じゃーんけーん、と口にした。 *** 昇降口をでて私たちは歩き始めた。 駐輪場の自転車をとってきて、相田くんは自転車を引いてゆっくり歩く。 今日は二人乗りじゃなくて。 ゆっくりゆっくり歩く。 「私の言うこと、何でもきいてくれる?」 「うん、俺が負けちゃったからね」 「ほんとは」 そこで私はとまってしまった。 がんばれ私。 「ほんとは百合ちゃんって呼んでもらうの嬉しかった」 「……うん」 「ありがとね」 「……うん」 そこで息をぐっと吸い込んだ。 「だからね、もう一回。ずっと前みたいに小学校のころみたいに、百合ちゃんって呼んで」 「百合ちゃん」 「はやい。終わっちゃうじゃん。もう一回」 泣けてくる。浮かびかけた涙を手の甲でぐいっと拭いた。 なんだか無茶を言っているってわかる。 でも相田くんが聞いてくれている。 「百合ちゃん」 今度はゆっくりと、相田くんが私の名前を呼んでくれた。 「百合ちゃん、俺ね。あのとき『相田くんはノート破っていない』って声をあげてくれたあのときから、百合ちゃんのこと見てた。ずっと」 「ずっと?」 「そう、ずっと」 あのときからあとの記憶は、ただみんなに合わせているだけの自分だった。カナエちゃんから怒られたときから、ますますからっぽの自分になってしまった。人に合わせて頷いて、人に合わせて笑って。自分は何も持っていない。 そんな私をずっと? 「俺、ずっと後悔してて」 「なに、を?」 「あのあと百合ちゃんが確か、仲良かった子としゃべらなくなったでしょ? 俺がかばってもらったせいだなって思って。悔しかった。今度は俺がかばってあげないといけなかったのに。なんでか怖くなって小学校のうちは言えなかった。だからね、俺、中学に入ったら絶対に誰かをいじったりすることはしないって決めてた。できてたよね、どうかな、俺」 心配そうに私をのぞき込んでくる。自転車を引く足が止まりそうなくらいの速度になった。 私は力強く頷いた。足を止める。相田くんも止まった。 「相田くんは。相田くんはできてたよ。私と違う。相田くんにかばってもらうとか関係ないよ、私がみんなに合わせてやりすごそうって思ったから、あのときカナエちゃんをかばってあげなかったから。だから全部自分のせいなんだ。相田くんは何も気にしなくていいの。むしろ」 もう一度、息を大きく吸って吐く。言える。絶対言える。 最後だから。もっと、がんばれ。私。 「むしろ、相田くんの今みたいな姿を見るのがすごく好きだった。誰かをいじったりしない。責めたりしない。自然体でできる相田くんが、すごくすごく好きだった。だから、百合ちゃんって呼んでもらうの、ほんとうは嬉しかった」 まっすぐに相田くんを見つめて、私は言い切った。 うん。よかった。ちゃんと言えた。 「俺がね、それをしてるのはね、あの日、百合ちゃんが俺を正しくかばってくれたから、だよ。すげえ嬉しかった。だから同じことしてるだけ」 「私、そんなすごいことしてない」 「でも、俺にはすげえいいことだったから。俺もね、あの日からずっとすごくすごく百合ちゃんのこと、好きだ」 自転車を挟んで、私たちはじいっとお互いを見ていた。 こんな最後の日に。約束の夏が終わるというのに。 もう相田くんは学校がかわるのに。 ──ああでも、最後に伝えることができてよかった。 しばらくその場で止まっていたけれど。 にいっと笑うと相田くんは自転車を引いて歩き出した。 私も合わせて歩きだす。 「百合ちゃん」 「うん」 「なんでもいうこと、きくよ」 「──なんでも?」 「なんでも。だから、言ってよ」 ずるい。 そんな言いかた、ずるい。 断れない前提で、私から言わせるの、ずるい。 「じゃあ、言うこときいてくれる? もう一回じゃんけんしてよ。勝ったほうの言うことを絶対にきくの」 相田くんは吹き出して笑った。自転車がガシャガシャと音をたてて揺れた。 「いいよ。じゃあいくよ? じゃーんけーん」 *** 二勝一敗。 私のじゃんけんの戦績。 あの最後のじゃんけんで、私は勝って相田くんは負けた。 だから私は『これからも一緒にいたい』って言ってもらった。 これはずるくない、と思う。 『もしもし、百合ちゃん? 明日、そっちに行くから一緒に勉強しようよ。もうすぐ期末テストでしょ?』 相田くんから誘ってくれる。 これはもう期間限定じゃなくて。 ずっと見ていた相田くんをこれからもずっと見ていられる。 夏の終わりに動き出した私たち。 これからの夏も、全部の季節もずっと。 期間限定じゃなくて、ずっと一緒に。
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