三十一文字

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三十一文字

 「お前、なぁ」 その言葉に振り返ると幼なじみの直人がいた。 「お前って何?」 私はふて腐れてみせる。 「仏頂面はやめろ」 「私にはちゃんとした名前があるの。知ってるでしょ?」 間髪入れず反論する。 「いいじゃないかお前で……」 でも直人もゆずらない。 「お前が良かったら、文芸部に入らないか?」 「文芸部? それって勧誘?」 私の質問に直人は頷いた。 「帰宅部じゃ、推薦貰えないぞ」 直人が痛い処を突く。 「うーん、でも文芸部って何やるの?」 「俳句か短歌だな」 「あっ、俳句甲子園?」 「いや、それだけじゃない。短歌甲子園もあるんだよ。俳句はライバル多いけど、短歌なら」 「そうね。短歌なら難しい季語はいらないか」 私はすっかりその気になっていた。 俳句は五七五で十七文字。 でも短歌は五七五七七で三十一文字だ。 基本は授業で習っているし、結構好きな内容だった。 本当は百人一首の恋の歌に牽かれたのだ。あれも一応短歌だからな。 それともう一つ。紫式部の書いた源氏物語の若紫の章に衝撃を受けたからだ。 天皇陛下の息子である光源氏が、父の妻を愛し男女の逢瀬を交わす。 夜に逢った男女が一夜を共にし、明け方別れることを後朝と呼ぶらしい。 このまま何かに紛れて消えてしまいたいと思う光源氏の張り裂けそうな胸の傷みが伝わってきた。あの時短歌を詠み合う平安時代の貴族達の日常を垣間見た気がしたのだ。  直人とは保育園時代からの腐れ縁だ。悪ガキじゃなかったけど、結構泣かされた。 だけどなんとなく好きだった。恥ずかしいから誰にも言ってないけど、実は初恋の人なんだ。 小さい頃から虫が苦手で、蝉も触れなかった。 そんな私の頭に何かが止まった。 鏡で見ると、それはカマキリだった。 私はそれを手で払った。するとカマキリはバタバタと飛んで今度は私の胸に着いた。 『ギャー!!』 私は今まで出したことのないくらい大きな声を張り上げた。 その悲鳴を聞いて駆け付けてくれたのが直人だった。 直人は私にしがみついているカマキリをいとも簡単に離してくれたんだ。 私には直人が救世主に思えた。だからそれ以来……ってことなのだ。
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