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 一年半前。  高校生になって初めての体育祭に向けた練習が始まった。九月の第二日曜日が体育祭。まず、週に二時間、ホームルームが体育祭の準備に充てられることになった。文化祭の時は半月前からだったが、体育祭はなんと七月中旬からだった。うちの高校は体育祭が凄いと耳にはしていた。中でもパネル操作による応援コンテストは地域でも有名らしい。練習にも力が入るわけだ。けれど、始めからパネル操作の練習をするわけではなかった。その前に応援歌を覚える。パネル操作をするとパネルに気を取られて歌が疎かになるからだとは後で気付いた。 「はい! 飛んで、飛んで! もっと楽しく! 大きな声で歌うよ〜!!」  と高いテンションで応コン部長の先輩が同じブロックの生徒を促す。まとわりつくような湿気のある体育館で、一年生の私たちはよく分からないまま先輩の合図に合わせて飛び跳ね、そして声をかぎりに歌った。なぜジャンプするのか。なぜここまで声を張り上げるのか。そんな疑問はみんなでやっているからという一体感で消える。たぶん応援コンテストの目指すところが、その一体感なんだろう。  その日は数日ぶりの晴れだった。快晴とは言えない白い雲の多い晴れ。応援歌の練習に行こうとしていた私の耳に、 「応援席スタンドのバック絵の進みが悪いので、できれば数人手伝いに来てください!」  という応コンの先輩とは違う先輩の声が耳に入ってきた。各教室を回っているようだ。  ブロック長から始めの日に言われたことを思い出す。 「歌の練習か、スタンドに飾る絵の色塗り、どちらかに出るように! 授業がないからといって帰っちゃだめだよ〜!」  応コンの練習に行ってる同級生が多かった。高校に入って友達になった永井百合花もだ。だから当然のように歌の練習に行っていたけれど、私は人手が足りないのなら色塗りの方に出てみようと思った。 「あれ、愛菜、応コンの練習行かないの?」  百合花に言われて、 「うーん。ちょっと色塗りの方も気になって。私、今日はそっちに出てみるね」  と答えた。 「外だから暑いんじゃない?」 「さあ? 体育館も十分暑いし、色塗りは校舎の裏らしいから影になって案外涼しいかも」 「まあ、暑いときはどこでも暑いよね。あたしは絵は興味ないから、また終わった後でね」 「うん」    校舎の裏側。応コンの練習とは対照的に静かに作業が行われていた。後で一つに繋げるのだろうベニア板に、黙々と色を塗る数人の生徒たち。まだ開始時間前なのに、私はなんだか遅刻したような気になった。邪魔をしないように私はそっと歩み寄って板の傍にしゃがんだ。広げられた板には数字が書いてあった。私は首を傾げる。来てみたもののどうすればいいか分からず、困っていた。少しだけ来たことを後悔したとき、 「初めて?」  前にしゃがんで色を塗っていた男子が小さな声で話しかけてきた。私は頷いた。 「今日はこの青色を塗ってるんだ。1の数字が書かれたところに塗っていけばいいから」  説明を受けて私は、 「ありがとうございます」  と声をひそめて言った。その男子は一度私に微笑んで、作業を再開した。  私も気を取り直して、中央に置いてある青い絵の具の入った缶と筆を手に、1と書かれた箇所を塗り潰していった。体育館の方からは応援歌の声が微かに聞こえてくる。中で飛び跳ねながら歌う生徒たちが見えるようだ。前回まではその中にいた私。色塗り作業場があまりにも静かなので、同じ体育祭の準備なのにこんなに違うことが不思議だった。でもこの静けさは悪くない。 「休憩〜」  先輩らしき人が言うと、波のない湖面のようだった空気が和らいだ。水筒やペットボトルを手に周りから会話する声が聞こえてきて、私は先程の男子に改めてお礼を言った。 「いや、初めてだと分からないよね。一人で来たの?」 「はい。友達は応コンの練習の方に行ったので」 「へえ。女子っていつも一緒に行動するのかと思ってた」 「まあ、そういう女子もいますけど、私と百合花はお互いしたいことをするタイプなんです」  その男子は面白そうに私を見た。その目が先ほどよりも輝いている。 「ふーん。俺、失礼なこと言ったかも。ごめん。あのさ、たぶん一年生だよね? 俺も一年なんで敬語はやめてよ。えーっと、誰さん?」  彼は少し困ったように言って、私の名前を聞いてきた。 「謝らないで大丈夫。女子ってそういうイメージあるかもね。私は佐藤愛奈。一年なの? 先輩かと思った」 「えー、なんで?」 「説明してくれたから」  私の言葉に、彼は「ああ、それ」と笑った。彼の屈託ない笑顔はとても感じがよかった。 「俺も前回からこっちに来て、困ったからさ。美術部のクラスメイトから頼まれたから来たのに、来たらみんな無言で作業だろ? びっくりするよな。ちなみに俺は上嶋雅人ね。よろしく、佐藤さん」  ペットボトルのウーロン茶を一口飲んで、上嶋君はまた笑って言った。 「うん。よろしく、上嶋君。クラス、違うよね? ってことは六組?」 「そう。六組。じゃあ佐藤さんは二組?」 「うん。見かけないはずよね」  今年の一年生は八クラスあり、二クラスずつの四ブロックに分けられている。同じように二、三年生も四ブロックに分かれていて、一つのブロックは一、二、三年が混ざるように構成されている。ちなみに、一年の二組と六組の属するブロックカラーは、白、黄、赤、青の中の青だ。  もう少し話したいなと思ったところで、 「はい! 休憩終わり! 作業再開してください!」  と先輩の声が響いて、私は上嶋君と顔を見合わせた。 「じゃあ、やりますかね」 「うん」  私と上嶋君はまた無言で青色を塗りだした。ブロックカラーの青は多用されているので、塗っても塗っても終わらなかった。その日は時間いっぱいまで青を塗り、 「またな、佐藤さん」 「うん。またね、上嶋君」  と短い言葉だけを交わして互いの教室に戻った。
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