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あの日だいだいもちを奪われた恨みはさておいて、百貨店の入口で手が当たってしまったのはこちらが悪い。今後顧客になるのだし、ここは大人になって一度きちんと詫びておこう。
「え? どこかで会ったかな?」
律が頭を上げると、大介が首を傾げていた。
「え」
本当に覚えてないのか。ほんの3日前の出来事なのに。
「あの、この前、百貨店の入口で手をぶつけてしまって、それから……あ、いえ」
思わずだいだいもちを奪われたことまで言いかけて、踏みとどまる。
「百貨店? ……ああ、あの時の」
「え、何だ?」
宮原が怪訝そうな顔をすると、大介が自身の口元を手で撫でた。
「この前、殴られたんだよ。百貨店に入ろうとしたら、いきなり」
「え! 待って下さい、殴ってませんよ、ちょっと手が当たっただけです」
確かに少し強めに当たった気がするが、殴っただなんて、人聞きの悪い。
「お前、何してんだ」
宮原が律を睨む。
「いや、ほんとに、」
「口の中が、少し切れた」
「嘘っ!?」
口に当たってたのか。それは申し訳ない。
「あの日はもう味が見られなかった」
「っ、」
仕事に支障をきたしているではないか! それはいけない。
「あの、ほんとにすみませんでした。まさかお怪我されてたなんて」
律がしおらしく頭を下げると、そこで大介が苦笑した。
「いや、あの時は俺も眼鏡を外してたから、よく見えてなかったんだ。仕方がない」
汗をかいて百貨店に入る前に眼鏡を外した大介は、かなりの近眼らしい。律の存在も、ぼんやりとしか見えていなかった。睨んでいるように見えたのは、視力のせいだったのか。
よくよく聞いてみると本人は無視したつもりはなかったようで、小さく頷いていたらしい。いや、ぜんぜん分からなかったけど。
口の中もすぐに治ったという大介に律が恐縮していると、となりでひなたが身を乗り出した。
目がらんらんと輝いている。
「ねえ大ちゃん。そのあとってもしかして、だいだいもち買った?」
「え? ああ、会長の見舞いに行くところだったから、買って行ったけど」
「最後の1個?」
「さあ、それはよく分からないが……他の客が騒いでたから、そうだったかもな」
それもあまり見えてなかったのか。
というか、自分の所の商品なのにちゃんと店で買うんだ。いや、それはいいけど。
文句も言えずに黙り込んだ『他の客』のとなりで、ひなたが嬉しそうにはしゃいだ。
「やっぱり! りっちゃんの運命の相手って、大ちゃんだったんだ!」
「っ、」
え、今その話、する?
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